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日本を世界的平和国家として信認させた安倍晋三元首相

NPO 法人サラーム会 会長 小林育三

電子季刊紙 Salaam Quarterly Bulletin, 2022年8月, 秋季号より

安倍晋三元首相の急逝に深甚なる哀悼の意をお捧げ申し上げます。

安倍元首相が築かれた日本と世界への平和貢献は甚大である。日本と世界の元首格の方が称えている。筆者は季刊サラーム当号において、氏の提唱による「自由で開かれたインド・太平洋構想」と首相在任中に成立した「安保法制」について振り返りつつ、追悼申し上げます。


自由で開かれたインド・太平洋構想(FOIP)

写真は「安倍元首相はインドと深い関係を築いていた」(ロイター/ アフロ)= WedgeONLINE 2022年7月11日より

写真は「安倍元首相はインドと深い関係を築いていた」(ロイター/ アフロ)= WedgeONLINE 2022年7月11日より

安倍晋三元首相の「自由で開かれたインド・太平洋構想」提唱は、2016年の8月ケニアで開催されたアフリカ開発会議(TICAD)においてであった。基調講演で安倍首相{当時}は「アフリカとアジア・日本をつなぐのは『海の道』だ。アフリカとアジア・日本は世界に安定と繁栄を与える‘自由で開かれたインド・太平洋’ をルールの支配する市場経済を重んじる場として責任を持って参りましょう」と呼びかけた。
此処で語られた『海の道』という概念は2007年第一次安倍内閣の時、インド国会において安倍首相が演説で、インドのムガール王子ダーラ・シコー(Dara Shikoh)が著わした『二つの海の交わり』を題名にし、太平洋とインド洋を自由の海、繁栄の海とし、とりわけシーレーンの安全にインドと日本両国はその役割を果たして行きましょう、と述べたところから出発している。(外務省: インド国会における安倍総理大臣演説「二つの海の交わり」(mofa.go.jp を参照)

本年2022年5月の訪日では、日印協会の会長に就任したばかりの安倍さんとお会いする機会がありました。彼はいつもの彼だった-エネルギッシュで、魅惑的で、カリスマ的で、非常に機知に富んでいた。彼は日印友好をさらに強化する方法について革新的なアイデアを持っていました。その日, 彼に別れを告げたとき、これが最後の集会になるとは想像もつきませんでした。私はいつも彼の暖かさと知恵、恵みと寛大さ、友情と導きに恩義を感じ、彼を心から寂しく思うでしょう。(印ナレンドラ・モディ首相はホームページに声明「わが友、安倍さん」を掲載。そこからの抜粋)

世界的理解と支持を拡げたFOIP

現在FOIP(自由で開かれたインド・太平洋)は中国の覇権的海洋進出を警戒するに従い、世界的支持を拡げている。2021年4月にはインド東方ベンガル湾でのフランス海軍による日米豪印との共同訓練「ラ・ペルーズ」開催にインドが初参加した。ドイツとは「日独交流160周年」を記念し‘日独2 プラス2’を開催した。

演習中のQUEEN ELIZABETH 空母打撃群(FlyTeam オンラインニュース、配信日2021年4月2日)

演習中のQUEEN ELIZABETH 空母打撃群(FlyTeam オンラインニュース、配信日2021年4月2日)

2021年7月には英最新鋭空母「クィーン・エリザベス」を含む空母打撃軍の派遣となった。防衛省は7月11-12日、英空母打撃群とソマリア沖アデン湾で海賊対処共同訓練を行った、と発表。日本からは護衛艦「せとぎり」、P-3C哨戒機、英海軍からは空母クィーン・エリザベス、フリゲート艦、補給艦、米海軍駆逐艦、オランダ海軍フリゲート艦が参加した。
英空母打撃軍は中東地域を通過する際、イスラム過激派(IS系武装組織)に対する作戦を展開した。そしてインド軍との訓練を展開後、シンガポールに寄港し、南シナ海では「航行の自由」を実施したのち、横須賀に寄港した。ウォレス英国防相は、防衛・安保、外交政策の長期展望として「インド太平洋地域での永続的なプレゼンスを発揮する」と明言した。

ポスト米ソ冷戦―日本の転換

しかし世界が‘自由で開かれたインド・太平洋’ という形に結実した日本提唱の平和構想を率直に受け入れる迄には20年間の道のりがあったと思われる。

1996年4月17日、日米安全保障共同宣言を発表する橋本龍太郎日本内閣総理大臣とウィリアム・J.・クリントンアメリカ合衆国大統領

1996年4月17日、日米安全保障共同宣言を発表する橋本龍太郎日本内閣総理大臣とウィリアム・J.・クリントンアメリカ合衆国大統領

① PKO 協力法成立による「国際協調と自衛隊派遣」
冷戦終結により世界大戦の危機は遠のいたものの、米ソ両大国の重しが取り除かれることにより地域覇権主義、異なる宗教・文化を背景とする民族主義の台頭による紛争が多発した。東ヨーロッパ地域、アフリカ地域、中東地域の紛争をあげる事ができる。一方東アジア地域は潜在的不安定地域として危険レベルは高止まりのままだった。
加えて1990-91年の湾岸危機―湾岸戦争時、日本は人的貢献ができなかった。1960年以来湾岸諸国からの原油輸入によって経済発展した日本が湾岸危機に対し経済大国二位の位置にあるにもかかわらず、自衛隊の派遣はおろか人的貢献もできない日本にアメリカを初め世界は納得できなかった。日本の威信は大きく傷ついてしまった。
故与謝野馨議員は「人的貢献を進めるために国連平和維持活動(PKO)について徹底的に研究した」と証言している。そして1992 年6月国連平和維持活動(PKO)協力法が成立した。それ以降自衛隊の参加したPKO活動は、カンポジア、モザンビーク、ゴラン高原、東ティモールと活発化させて行った。
冷戦終結後、日本は「国際協調と自衛隊派遣」に道を開いたのである。このことは防衛の内実を「軽武装経済重視による一国平和主義から国際協調へ」という歴史的転換でもあった。
国連安全保障理事会会議場

国連安全保障理事会会議場

②周辺事態法
1991年ソヴィエト連邦崩壊による米ソ冷戦構造の終結は東西両陣営の対立による世界大戦への危機を脱した。しかし1993年北朝鮮のNPT(核拡散防止条約)脱退に伴う核兵器保有宣言、1994年台湾の李登輝総統(当時)が独立を志向するや中国は台湾海峡で大規模なミサイル演習を行い台湾に軍事的威嚇を与えた。これらの事態に日米は東アジアの不安定さを思い知ることとなった。
1996年4月、日本の橋本龍太郎内閣総理大臣とクリントン米大統領との日米共同宣言の中で、「日本周辺地域」における重大事態での日米協力拡大が発表された。日本は1998年に周辺事態法を閣議決定し、1999年国会において成立させた。

FOIP が世界的支持を得るまでの激動の中東情勢

① 2001年9月11日、イスラム過激派テロ組織アルカーイダによりアメリカは未曾有の同時多発テロに見舞われた。9月12日には国連安保理事会は満場一致で国連安保理決議1368を採択した。国連安保理決議1368は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を受け、同事件の被害国であるアメリカ合衆国及びその同盟国について、その前文において個別的又は集団的自衛の固有の権利を認識すると定めている。

アフガニスタン難民用の救援物資の目録が、小泉総理(国際平和協力本部長)からロチャナコンUNHCR 日本・韓国地域代表に手渡された。

アフガニスタン難民用の救援物資の目録が、小泉総理(国際平和協力本部長)からロチャナコンUNHCR 日本・韓国地域代表に手渡された。

アメリカWブッシュ大統領は‘テロとの戦争’ を宣言し、安保理決議を基にビンラーディンを匿うターリバン政権のアフガニスタン攻撃に踏み切った。
アメリカの要請を受けた小泉首相は直ちに「テロ対策特別措置法」を成立させた。10月にはアフアニスタン難民への救援物資は航空自衛隊輸送機でパキスタンに送り届けた。
自衛隊インド洋派遣:2001 年から2010年1月15日まで行われた、海上自衛隊の補給艦と護衛艦の派遣。時限立法テロ対策特別措置法に基づく、海上警備活動とインド洋での給油活動。(写真は2009年7月19日毎日新聞)

自衛隊インド洋派遣:2001 年から2010年1月15日まで行われた、海上自衛隊の補給艦と護衛艦の派遣。時限立法テロ対策特別措置法に基づく、海上警備活動とインド洋での給油活動。(写真は2009年7月19日毎日新聞)

この特措法は2年間の時限立法であったが、自衛隊の‘戦時’における派遣、遠隔の国への派遣、そして在日米軍基地へのテロを予想しての‘警護出動’を可能とした。戦闘行為には加わらないものの安保理決議に基づき、アメリカの同盟国として当然の活動に踏み切ることを可能にした。
具体的には、テロ特措法の設置により海上自衛隊によるインド洋上の給油作戦に従事した。この作戦は航行しながら給油活動を行うものだが、高度の技術を必要とし、後方支援活動とは言え日本の存在感を高めることとなった。
米、英、仏、独、パキスタン、NZ、6カ国はテロリストの海上移動等を阻止するため船舶の検査を実施した。日本は海上阻止活動本体へは参加せず、補給支援特措法に基づき、テロ対策海上阻止活動を行う諸外国の艦船に対する補給支援活動を行うこととした。
佐藤正久・一等陸佐(写真中央)JGSDF Colonel Masahisa Sato (center)自衛隊イラク派遣では佐藤正久・一等陸佐が第一次復興業務支援隊長を務めた。自衛隊が架けた最初の橋は「SATO BRIDGE」と命名された。サマーワの族長から「サマーワの心に通じたコーネルSato」と親しみを込めて呼ばれた。

佐藤正久・一等陸佐(写真中央)
JGSDF Colonel Masahisa Sato (center)自衛隊イラク派遣では佐藤正久・一等陸佐が第一次復興業務支援隊長を務めた。自衛隊が架けた最初の橋は「SATO BRIDGE」と命名された。サマーワの族長から「サマーワの心に通じたコーネルSato」と親しみを込めて呼ばれた。

海上給油は海上阻止活動を行う外国艦船に日本の補給艦が伴走しながら長期間・安定的に実施できなければならない。そのような装備、高い技術と能力を持ち合わせる日本の海上自衛隊が最適であり、その活動は各国からの高い評価と感謝を受けた。
② 2003年から始まったイラク戦争後、イラク復興のための陸上自衛隊の施設部隊派遣もイラクの人々に喜ばれ、親しまれた。このような世界各地での紛争後の復興支援は各国で高い評価をえて、多くの要請を受けた。
しかし日本の自衛隊イラク派遣に対して「日本は米国を恐れてその圧力に屈している」との見方が一般的であった。そのようなイラク感情の中でイラク南部の非戦闘地域とは言え自衛隊が勝ち得た現地人からの信任には驚くべき熱い内容があった。

安倍首相の中東訪問=積極的平和外交

第二次安倍内閣が発足した2012年の暮れは大震災から1年半後の事であり、まだまだ復興における多くの課題が山積していた。にもかかわらず安倍首相は積極的平和外交を中東訪問を皮切りに展開していった。

2013年4月30日、サルマン・サウジアラビア皇太子との会談(写真提供:内閣広報室)

2013年4月30日、サルマン・サウジアラビア皇太子との会談(写真提供:内閣広報室)

2013年安倍首相は二度にわたって中東を歴訪した。4月30日―5月1日サウジアラビア、5月1日―2日アラブ首長国連邦、5月2日―3日トルコ。8月24日―25日バーレーン、8月26日クウェート、8月27日ジプチ、8月28日カタール。
アラブの春は湾岸諸国にも波及しており、日本が経済的国益のみを求めてやってきた、と思われれば各国多寡の違いはあってもイスラム過激派による対日批判を政府に向け反体制運動に火をつけることにもなりかねない。1990年代「油乞い外交の日本」との批判を受けたアラブ諸国への訪問は決してたやすいものではなかったはずだ。
2013年8月26日、安倍首相はクウェート、ジャービル首相と会談

2013年8月26日、安倍首相はクウェート、ジャービル首相と会談

安倍首相は積極的平和外交を掲げ、中東湾岸諸国への訪問で日本と湾岸各国との「安定と繁栄に向けた包括的パートナーシップ」に向け関係を強化することを宣言した。経済{油}だけでなく地域の平和安定を含む包括的パートナーとなることを宣言した。日本はアラブ諸国と友人になる事を宣言したのだ。

安倍首相の積極的平和主義

①湾岸戦争時の汚名払拭する積極的平和外交 湾岸危機が起った時は既に東西冷戦は終結となっていた。冷戦後の混乱期にあったものの国連安保理はほぼ全会一致でイラク軍の退去を決議した。にもかかわらず退去しないイラクに対しクウェートのために日本はいかなる言動をすべきであったのか?原油の自主開発では恩人ともいうべき国である湾岸のクウェートは亡国の淵に立たされていた。1990年8月10日には緊急アラブ首脳会議がカイロで開かれ、「イラクのクウェート侵攻に対し、アラブ合同軍の派遣を含む7項目の決議を採択」された。しかし事態の進展が為されぬまま、ついに国連安保理は11月末に事実上の武力容認決議を採択した。

11月29日、国連安保理事会はイラクに対しクウェートからの撤退を促す最後の機会として、1991年1月15日を期限にあらゆる必要な手段を行使する権限を与える事実上の武力行使容認決議(678 決議)を賛成多数で採択した(1990年11月30日付中日新聞・夕刊)

11月29日、国連安保理事会はイラクに対しクウェートからの撤退を促す最後の機会として、1991年1月15日を期限にあらゆる必要な手段を行使する権限を与える事実上の武力行使容認決議(678 決議)を賛成多数で採択した(1990年11月30日付中日新聞・夕刊)

湾岸危機は明らかに日本にとっても死活的重大事態であったはずである。国連尊重の立場に立つ日本、日米同盟にある日本の役割、いずれから観ても湾岸危機に対する明確な姿勢を‘積極的’に表明すべきであった。そして日本の役割を具体的に提起すべきであった。しかし日本国として何も発信できなかった。世界は日本の態度の曖昧さ、人的貢献のなさ、平和への‘積極性’ の足りなさ、と受け取る結果となった。経済大国日本の威信に傷が付いてしまった。米議会では「日本の安保ただ乗り」論が噴出し「日本の国会議員の一人でも、アメリカが攻められたときアメリカを助ける、と言った人はいるのか?」と批判が出たことを忘れることはできない。
②周辺事態法から重要影響事態対処法 憲法98 条には「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守する事を必要とする」とあることは、集団的自衛権を認める国連憲章に基づけば、日本は集団的自衛権を行使できる、と言いうる。特にテロとの戦争という時代を迎え、従来の地政学的周辺事態と言う地理的概念のみでは危機防衛を護れない事態に直面することになった。周辺事態を含め、地理的範囲に縛られない防衛概念、すなわち重要影響事態、と言う概念に深化すべきことが必須となった。
③2015年9月19日、安全保障関連法案(安保法制)が成立 この安保法制の成立は、安倍内閣の2012年12月政権発足以来、日本自体の防衛における安全保障の課題すなわち国際情勢に合致する集団的自衛権、日本の防衛計画、武器輸出三原則の見直し等、同時に、国際平和活動における自衛隊の「駆けつけ警護」「宿営地の共同防衛」、更にその事を可能にする準備(情報収集、教育訓練)等々を総合した内容であり総仕上げであった。
自衛隊による国際平和協力活動は、近隣アジア諸国、中東諸国、アフリカなど全世界で実施されてきた。国連PKOへの参加だけでなく、国際社会の平和のために活動する他国軍隊への支援も含めた自衛隊による国際平和協力をスムーズに可能にする法制度として、安保法制は2016年3月29日、施行された。
安全保障関連法案(安保法制)が2015年9月19日、与野党の激しい攻防の中、参議院本会議で採決し可決、成立した。

安全保障関連法案(安保法制)が2015年9月19日、与野党の激しい攻防の中、参議院本会議で採決し可決、成立した。

④シーレーン防衛を中軸とする‘自由で開かれたインド・太平洋安保’ 東アフリカーアラビア海―インド洋―マラッカ海峡―南シナ海―日本のシーレーンは原油タンカーの航行をメインとする世界海上運輸航路だ。ホルムズ海峡に紛争が起れば湾岸諸国からの原油タンカーは通行できなくなる。南シナ海に交戦事態が発生すれば海上船舶は大きく迂回せざるを得なくなる。
第二次安倍政権誕生後、安倍首相は積極的平和外交を展開した。真っ先に中東諸国を歴訪し「安定と繁栄に向けた包括的パートナーシップ」を掲げ各国との関係強化を図った。また「自由で開かれたインド・太平洋安全保障」構想を提唱し、準日米安保としてオーストラリア、インドを加えることに成功した。この提唱はアメリカに受け入れられ、今日に至って東シナ海、南シナ海での中国の進出を警戒するイギリス、フランスも参加を表明している。そして更に西太平洋の安全への取り組みとして拡がりつつある。

産経デジタルnews 外交安保取材2020.10.20

産経デジタルnews 外交安保取材2020.10.20

故安倍晋三元内閣総理大臣ありがとうございました!!
日本の防衛体制と国際的防衛協調体制はあなたのおかげで整いました。
残るは憲法改正です。
日本国民はあなたの遺志を受け継いで成就することでしょう。




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脱石油政策の成功は中東平和に繋がる

トランプ新大統領はディール(取引)するビジネスマンというイメージが前面に押し出されてきた。そのため軍事・外交までディールとして取り扱われるのではないか、と危惧されている。しかし安倍首相との首脳会談では深い人間関係の構築に努力し、日本の軍事・外交に予想以上の理解と評価を示した。そしてアジア外交に対しても無難な滑り出しをなすことができたみなされる。

中東においてはどうであろうか。中東アラブ穏健諸国は、中東戦略に対して及び腰であったオバマ前大統領よりもトランプ大統領の方に期待を寄せている。オバマ前大統領より遙かにイスラエルよりだと思われるトランプ氏に対してである。

日本は日米同盟基軸の下イスラエルと軍事外交上友好関係の立場にあり、同時に原油輸入に依存して産業発展をなしてきたという立場は中東において2つの焦点を持っていたと見なすことができる。したがって日本の平和発展と、イスラエルとパレスチナ・アラブ諸国の平和共存とは一衣帯水の関係にあるといっても過言ではない。第一次オイルショックはその実例であった。つまりパレスチナ紛争解決や、ペルシャ湾危機回避は遠い中東の話ではないのである。

3月中旬、サウジアラビアのサルマン国王は4日間にわたり日本に滞在した。アラブ湾岸諸国を代表するサルマン国王の訪日を「脱石油政策」のためとすることは適切ではない。サウジ・湾岸諸国のお家の事情がそうであることは事実だが、経済格差を是正する政治的課題とその格差を温床に王制打倒を計るアルカイダ、IS等の過激派対策、さらにはイェメンの武闘反政府組織であるフーシ派とそれを支援するイラン問題があることを知らなければならない。イスラエルの中道右派といわれるネタニヤフ首相は中東和平問題解決に対して穏健アラブ諸国との協力もあり得ると語った。

日本は中東における2焦点外交のパラダイムから、一焦点外交への移行を模索し、穏健アラブ諸国の代表であるサルマン・サウジアラビア国王の期待に責任感を持った次元の高い政策を打ち出していくことが求められているのではないだろうか。

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