会長コラム
2021年、新年を迎えて
NPO法人サラーム会 会長 小林育三
2021年の新春をお祝い申し上げます。
昨年から続いているコロナの拡大は第三波の渦中にあり、日本は緊急事態宣言下に置かれている。アメリカは1月20日にバイデン新大統領の就任式が行われたが、混乱の中の船出となっている。アメリカの隙をみてアジアにおける力による現状変更に攻勢を増す中国。アルカーイダ、IS等のイスラム過激派とアラビア半島への革命輸出を目論むイランの存在による中東地域の不安定要因は残されたままだ。
このような中で日本は自国の平和と安全と繁栄を前進させ、アジアと中東に平和をもたらすことが出来るのだろうか。
1960年から中東に船出した日本

第二次大戦後、サンフランシスコ条約により日本の主権は回復し、平和国家への決意を世界に表明した。自国の防衛はアメリカに大きく依存したまま、日本は高度経済成長の波に乗ったのであった。

中東原油は一次エネルギー、二次エネルギー(電力)の安定供給をもたらした。エネルギーは経済発展の礎である故、国を挙げて中東との友好を促進し、産油国である湾岸諸国との関係は戦後の新たな絆として急速に深まって行った。かつての海のシルクロードは原油大型タンカーのオイル・ロードに変貌したのである。
中東の平和を前提とした日本の経済発展

トヨタ自動車75年史(朝日新聞1973年10月25日)
自主原油輸入が順調に増大するにしたがいエネルギー資源の中東依存度は高まり、中東アラブ諸国との友好は拡大した。そのアラブ諸国との関係に冷や水を浴びせたのが第一次オイルショックであった。1973年の第四次中東戦争でOAPEC(アラブ石油輸出機構)加盟のアラブ諸国は、エジプト・シリアがイスラエルと戦うことを支援するため湾岸諸国も原油公示価格を値上げすべきとし、70%の引き上げを決定した。
日本が湾岸アラブ諸国との友好関係を深めたことに間違いはないが、外交・安保においてはあくまで日米安保を通してイスラエルの側に立つ国であったからである。つまり日本は外交・安保においてはイスラエル側、経済においてはアラブ側、に立つという二元外交的立場に立っていたのである。この二元的立場が葛藤とならないためには、アラブとイスラエルとの間に戦争が起きないこと、平和が維持されることを前提としていたのであった。そのような観点から言えば、中東は‘世界の火薬庫’である、として爆発が起ることを最も恐れなければならない国は他ならぬ日本であったと言える。
湾岸戦争から30年を迎えた2021年

2020年9月15日、イスラエルとUAE、バハレーン国交正常化合意。於ホワイトハウス(ITV NewsのYou Tubeより)
イラク軍によるクウェート侵攻を米英仏主導の多国籍軍で押し戻した湾岸戦争から今年は30年目の節目に当たる。イラクは国内にイラン民兵の工作とISの残党勢力によるテロが続いている。親米の立場をとるカディミ首相は政情不安の国政を落ち着かせつつあるものの、国家の歳入の9割を原油に頼る現状はコロナ禍による原油価格低迷と共にあえいでいる。
一方クウェートはサウジアラビアを初めとする湾岸諸国(GCC)と共にイランの革命輸出を防衛する立場にあるが、アラブ首長国連邦(UAE)のように軍事・外交・原子力等によって積極的にイランと対峙する姿勢は見せていない。クウェートは30年前、イラクのサダム・フセインによる軍事侵攻で亡国の淵に立たされた。サウジアラビアが多国籍軍を本土に入れることを許可しなければクウェートの解放は覚束なかった。そのことへの恩義故に、昨年のイスラエルとUAE、バーレーン、スーダンとの国交正常化の動きの中において、クウェートはサウジと共に国交正常化の動きに加わると思われる。
中東情勢の変容と日本

一次エネルギーの国内供給の推移(経済産業省資源エネルギー庁エネルギー需要の概要より)
中東は‘世界の火薬庫’と言われ続けて久しいが、その意味する中東情勢は大きく変化し続けてきた。‘世界の火薬庫’としてその爆発を恐れられた期間は1960年からの30年間、すなわち湾岸戦争までと見ることが出来る。その理由は大きく二つある。
第一は、世界を二分する東西冷戦構図が1989年のベルリンの壁崩壊で解消したことである。その事により、一次から三次まで繰り返された中東戦争における‘イスラエルVSアラブ諸国’と言う対立構図が東西冷戦の世界的対立構図とリンクする危機は消滅したのである。それ故に湾岸危機は初めから世界大戦に発展する可能性は少なく、中東地域内の地域覇権紛争として止まる公算が高かったのである。
ただ、サダム・フセインは汎アラブ主義、反ユダヤ・キリスト教国家、反イラン系過激シーア主義とリンクさせ世界紛争へと拡大することを試みたことは確かであったが失敗した。空振りに終わったのである。元々彼の本意はクウェートを手始めとする湾岸地域の地政学的現状変更を試みた侵略行為と視るのが妥当であった。
もう一つの理由として、世界の国々の原油需要における中東依存度の低下を挙げる事が出来る。石油ショック以来世界は原油輸入の中東依存度を減少させた。更にロシア、中国、その他の産油国は非OPEC諸国としてOPECカルテル戦略を崩壊させたからである。
日本について言えば、それに加えて一次エネルギーの原油依存度を1973年の75.5%から2015年の41.0%に減少させたからである。
‘中東は世界の火薬庫’と言われる時代は終わりを告げたのであった。
‘中東の火薬庫’=過激なイスラム主義の台頭
1979年のイラン・イスラム革命は、イスラム型共和国家を建設し得た、としてイスラム原理主義者特にムスリム同胞団から派生したスンニ派イスラム過激派を刺激した。それはスンニ派系の共和国への希求であり、現存のアラブ共和国諸国や国王・首長諸国は本来的なイスラム国家ではない、と断罪する過激なイスラム主義へと向うことを促した。

キャンプ・デービット合意、1978年9月5日から9月17日にかけて、アメリカ大統領のジミー・カーターが、エジプト大統領のアンワル・アッ=サーダート、イスラエル首相のメナヘム・ベギンをメリーランド州にある大統領山荘(キャンプ・デービッド)に招待する形で三者会談が行われた。(ウィキペディアより)
イスラエルと平和条約を結んでノーベル平和賞を受賞したアンワール・サダト大統領を暗殺した砲兵中尉はジハード団(ムスリム同胞団から派生したイスラム過激派の一派)所属であり、ウサマ・ビン・ラーディンはその流れを汲んでアルカーイダを創設した。

平和と建設に主体を置くべき信仰が戦闘と破壊にその主体が置き変る時、神はその人から離れるのである。9・11アメリカ同時多発テロは神も人類にも敵対する残虐行為以外の何物でも無かった。
終息に向う‘中東の火薬庫’
それでは‘中東の火薬庫’とはどのような内容と理解すべきであろうか?
サダムは湾岸危機において世界危機へのリンクを試みたが失敗し、地域覇権主義時代として湾岸戦争は敗北に終った。
一方アルカーイダを核とするイスラム過激派のネットワークは世界に張り巡らされ、9・11同時多発テロを引き起こした。その残虐非道なテロ行為は世界を‘テロとの戦争’へと向わせた。アメリカ・ブッシュ(子)大統領はアフガン戦争からイラク戦争へと歩を進めて行った。アルカーイダを頂点とするイスラム過激派を追い詰める戦略としてイラク戦争については疑義が残るものの、その後の追求で2011年ウサマ・ビン・ラーディンを殺害し得たことはアルカーイダを終息に向わせることになった。
イラクに根を置いたイスラム過激派は2011年からは‘アラブの春’と称される大衆運動への拡がりを好機ととらえ、チュニジアにおいてはベン・アリ政権を打倒し、エジプトにおいてイスラム過激派のモルシ大統領を当選させ、シリアにおいては内戦状態に陥れた。極めつけはイラクとシリアに跨がる「イスラム国」ISISが国家樹立を宣言したことだ。その後の恐怖政治とテロは世界を震撼させるところとなった。しかし彼らの天下は3年を限度に終息に向っている。

左)ウサマ・ビン・ラーディンの後継者としてアルカーイダの頭首となったアイマン・ザワヒリ。現在逃亡中。 Ayman al-Zawahiri
右)「イスラム国」のカリフと称されたアブバクル・バグダディ、2020年11月アメリカ軍により殺害された。 Abu Bakr al-Baghdadi
ここに至って‘中東の火薬庫’とは、聖戦の名の下に正当化されるスンニ派系のイスラム過激主義とイラン系のイスラム過激主義である、となったのである。それ故に親米的イスラム穏健諸国はスンニ派系のアルカーイダ、IS、ハマス、ボコハラムその他のイスラム過激派とイラン系の革命工作部隊ヒズボラと革命防衛隊とその元締めであるイランとの対立構図を鮮明にしたのである。
日本の役割
中東との関わりが始まってから60年。日本は原油輸入により中東湾岸諸国と絆を深めてきた。中東は新たな建設と発展の時代を切開こうとしている。中東諸国は日本のインフラ復興技術、医療・化学・原子力発電技術を高く評価しており、漫画・アニメ初めとする日本文化にもなじみ、さらにはPKO初め自衛隊の海外派遣による平和の創出を歓迎するに至っている。

2020年2月2日、シーレーンでの日本船舶の安全航行確保のためアラビア海北部に出発した、護衛艦「たかなみ」
米中対立の激化が続くなか、日本の自衛は東シナ海、南シナ海にとどまらない。インドネシア海域からマラッカ海峡、インド洋、北アラビア海、そしてソマリアのアフリカ東海岸に至るまで、アメリカによる防衛をできる限り引き継いで行く決意を表明すべきである。
集団的自衛は自国防衛の責任を果すことに積極的努力を果すことが前提であり、それなくして他国の平和に貢献できることはあり得ない。
平和を希求し日本を信頼している中東諸国であることをよく知る安倍前首相が打ち出した‘積極的平和外交’はこれからが本命だ。これから更に実のあるものとして推し進める事が今後の日本の役割である。管政権に引き継がれることを願って止まない。
(2021年2月11日発行、季刊サラーム第36号第二記事より)
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2012年2月25日 クウェート独立50周年を心よりお祝い申し上げます。