会長コラム

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ようこそ!サラーム会ウェブサイトへ

President Ikuzo Kobayashi
 小林育三会長

サラームはアラビア語で「平和」を意味します。このサラームという言葉の響きは、私たちの心を穏やかな気持ちにしてくれます。日本は40年程前エコノミックアニマルと陰口をたたかれたことがありました。そのことによって、優良な商品を世界に提供するだけでは世界が求める日本の役割として不充分であることを知らされました。そのとき以来、日本は世界平和に対する日本の貢献、国際貢献について真剣に取り組んできたと言えましょう。

現在、日本人は国際貢献に積極的に取り組む人が増えています。そのような中で、良き日本文化の発信に努力する人々も多くいます。文化の受信のみならず発信も重要であり、相互の文化理解を通して平和に寄与することができると考えるようになったからだと思います。

サラーム会は良き日本文化の発信に努め、遠い中東文化に対する理解を深めて行くつもりです。相互の文化を紹介していくことを通し、より活発な交流関係を実現していきたいと願っています。

皆様のご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます。

サラーム会会長 小林育三

 


クウェート独立50周年を心よりお祝い申し上げます。

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 クウェートの国章には預言者ムハンマドの出自クライシュ族のシンボル、金色のハヤブサの翼の上に海洋に浮かぶダウ(Dhow)船が描かれています。

 アラビア半島の東側付け根に位置するクウェートはインド、ペルシャ(現在のイラン)からアラビア半島に下る中継地として、また湾岸地域からイラクのバスラ、バクダットへと向かう途上に位置する陸上交通の要所でした。同時にアラビア諸港、ペルシャとの沿岸貿易港として知られていました。

 クウェートが都市国家の体裁を整えた1752年以来、クウェート人の主要な経済活動は海に依存した漁業、天然真珠取り、さらにアラビア沿岸諸国間の海洋交易として発展します。ダウ船と呼ばれるクウェート独特の帆船は、製造技術はインドから伝わったとされていますが、クウェート人の独創的技術により改良され、多くの種類のダウ船が誕生しました。

 1900年代より沿岸貿易木造帆船としてダウ船は発展し、遠くインド、東アフリカにまで航海し、海洋貿易の主役となりました。1940年頃には200トン級のダウ船が150隻もクウェート湾を賑わせていました。

 しかし石油の発見により、大活躍したダウ船の船員も船長も石油関連の会社に就職し、船を動かす人がいなくなってしまいました。

ダウ船

 写真にあるダウ船ファティルカー(Fateh-el-Khair)は、1952年バスラのペルシャ人船長に売り渡され、ダウ船を中心とする海洋貿易の時代は終わりを告げました。

 1994年クウェート大学教授ハッジ(Hijji)博士は探していたファティルカーを発見しました。クウェート科学振興財団(KFAS)は直ちに買戻しを決定し、修復工事を行いました。復元されたファティルカーは2000年に完成したクウェートの科学センター(The Scientific Center Kuwait)に展示されています。

 一旦は他国へ売られてしまったものを買い戻してまで復元した理由は、クウェートの「海洋民族としての誇りと伝統を未来に残す」という気持ちの強い現れです。船名ファティルカーとは「幸運の始まり」の意だそうです。

 クウェートは湾岸諸国の中で最も進取の気性に富んでいるといわれています。かといって歴史と伝統を疎かにしているわけではないことが、そのことからも伺い知れます。3000年紀の出帆にあたりクウェート首長は「クウェートを金融と世界貿易のセンターにする」という目標を掲げ、巨額の開発計画を採択しました。

Dhow

 広大な砂漠をラクダに乗って移動する民族にとって、行くべき方向の道しるべとして星を頼りとしてきたと思われます。そこで培われた時代を予見する慧眼は、海を目指して移動し、定着してクウェート国を築き上げました。クウェートが掲げた新たな目標は、原点回帰に基づく目標のようにも感じられます。

 日本も現在にわかに海洋国家としての開国の歴史が回顧され、新時代に対応する海洋国家像が模索されています。

 クウェートと日本の、過去に増したる新たな絆が結ばれることを心より祈念いたします。


新世紀の海洋シルクロード

 今年(2011年)4月18日クウェート政府が東日本大震災の復興支援のため、原油500万バレル(450億円相当)の無償供与を決定したことに、日本人として心からお礼を申し上げます。

 石油資源の乏しい日本にとって、自主原油の開発は、戦後の大きな国家政策でした。一方、クウェートにとっては未知の日本との契約は、大きな賭けでもあったと思われます。しかし、最初の試掘でカフジ沖の海底油田を掘り当てるという奇跡が、両国の抱えるすべての難問を解決しました。実に幸運な出発を果たしてから50年経った今年、両国の新たな幸運へ向けて船出をしたいものです。

 中東における石油採掘は第二次大戦後、本格化しました。よく知られていますように、「アラビアンナイト」に登場する「シンドバッドの冒険」が映画化され、一大ブームを巻き起こしたのも、当時の石油開発の成功が背景にあったからです。

 「アラビアンナイト」は8世紀末、アッバース朝最盛期に生まれた物語です。当時のバグダードはシルクロードをメーンとするユーラシア大商圏の中心地で、絹を求める商船が「海のシルクロード」を航海し、中国に至っていました。当時のダウ船はイスラム圏の伝統的木造帆船(ムスリム船)として知られており、アラビア半島、インド、東アフリカ沿海で使用されていました。陸のシルクロードが戦争や帝国の政策でたびたび中断されたのに対し、海のシルクロードは継続して発展してきたのです。

 オスマン帝国時代、イラクは完全に帝国の支配下におかれていましたが、都市として完成度の高いイラクのバスラより遠方にあるクウェートには、帝国はさほどの興味を示しませんでした。

 もっとも、当時のクウェートが、北のメソポタミアから南のアラビア半島への重要な陸路であり、ファイラカ(Failaka)島を臨むクウェート湾が、ペルシャ湾における交易の要衝であったことに変わりはありません。さらに、陸海共に交易の要路にあった当時のクウェートが、オスマン帝国の支配下ではイラクよりはるかに自由度が高く、通商がし易かったことは間違いありません。

 そのような地政学的背景を追い風に、クウェートはダウ船工法と航法を発展させ、海洋交易を担うようになります。アルクレイン(Al-Qrain)と呼ばれた当時のクェート人が漁業や交易に乗り出し、アラブ海洋時代の礎を築いていたのです。

 18世紀にクウェートに移住してきたウトバ族サバーハ家(Utbi, Al-Sabah)は、この土台を生かし、より公正、公平でかつ安全な交易環境を築き上げました。それによってクウェートは通商において18世紀末、アラビア湾岸のみならずインド北西沿岸までの地域で、マスカット(Muscat、現在のオマーン)を凌駕する存在となり、やがてバスラ(イラク)のライバルともなったのです。

 1860年代のクウェート商艦はバーレーンを凌駕し、湾岸で最大規模になりました。イギリス人探検家ウィリアムは「クウェートはペルシャ湾諸港で最も活気ある港である」と書いています。石油産業に取って替わられる1940年まで、クウェート海洋交易は約300年にわたり歴史と伝統を誇っていたのです。

 3000年紀への出発にあたる今日、クウェートが「世界の貿易センターとしての開発・発展」を目標に掲げたのは唐突なことではありません。砂漠と海の通商路におけるネットワークのセンターを築き上げることによって、クウェートは陸と海の通商民族として、新たな飛躍を果たそうとしているのです。

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