202008

中東への本格的平和外交に 船出すべき日本(下)

NPO法人サラーム会 会長 小林育三

電子季刊紙 Salaam Quarterly Bulletin, 2020年8月, 秋季号より

汎用護衛艦「むらさめ」型 4番艦 DD護衛艦「きりさめ」
汎用護衛艦「むらさめ」型 4番艦 DD護衛艦「きりさめ」

中東シーレーンの日本関係船舶の安全確保のため、防衛省設置法の「調査・研究」に基づき5ヵ月の任務を無事に終えた護衛艦「たかなみ」が7月1日に海自横須賀基地に帰港した。無事の帰港を称えたい。6月半ばからは護衛艦「きりさめ」が北アラビア海で活動しており、第二次部隊の哨戒機も任務に入っている。
21世紀に入って20年、世界大戦の危機は遠のきつつあるとはいえ、中東地域の火薬庫は何時また火を噴くか目を離せない状況にあり、東アジアは第二次世界大戦後の混乱を彷彿させる朝鮮半島、アジア覇権を推し進める中国習近平政権は第一列島線を突破しようとする強硬策で東シナ海、南シナ海、さらには香港、台湾、尖閣列島への力による現状変更を試みようとしている。
シーレーンにおける安全確保は自由で開かれたアラビア海、インド洋、マラッカ海峡、南シナ海、東シナ海、そして南太平洋の安全保障として喫緊の課題となった。中東と日本の平和・安全確保は、シーレーンで結ばれた一衣帯水の運命共同体の時代を迎えている。


間一髪で撃沈をまぬがれた原油タンカー「TAKASUZU」

2004年4月、日本郵船の超大型タンカー「高鈴」は石油積み出しターミナルであるペルシャ湾奥イラクのバスラ沖に係留中だった。英ペルシャ湾派遣艦ノーフォークはターミナルに接近する3隻の小型高速艇を発見し銃撃戦になった。高速艇の1隻は「高鈴」の手前数百メートルで自爆をおこし大爆発した。3隻の高速艇はターミナルでのタンカー・テロを狙ったもので「高鈴」船体は銃弾でえぐられ鉄製ドアが吹き飛ばされはしたが、自爆テロによる撃沈は免れた。


TAKASUZUが狙われた地点と日本郵船超大型タンカー(2007年9月27日産経)
TAKASUZUが狙われた地点と日本郵船超大型タンカー(2007年9月27日産経)

数日後ザルカーウィから犯行声明が出された。ザルカーウィは2002年ごろからイラクに潜伏したヨルダン人であり、アルカーイダの司令官ウサマ・ビン・ラーディンに忠誠を誓う人物で、イラク内での反米テロの首謀者だ。アメリカが宣言した‘テロとの戦争’に与するすべてに対しテロを仕掛ける超危険人物であった。

ザルカーウィ、2006年6月米軍空爆で死亡
ザルカーウィ、2006年6月米軍空爆で死亡

当時日本は「戦闘海域」には海上自衛隊の艦船を出せなかった。インド洋上に補給艦を派遣し多国籍軍への給油活動を任務としていた。したがってタンカーを守るのは他国依存の状況であった。この時も多国籍軍として派遣されていたイギリス艦ノーフォークに守られた格好となった。しかしこのアルカイダ系の自爆テロで米海兵軍兵2人と沿岸警備隊員1人が死亡した。米英多国籍軍の犠牲の上に日本経済が支えられたことを絶対に忘れてはならない。

海賊対処行動

河野太郎防衛大臣
河野太郎防衛大臣

原油タンカーへの攻撃と共に2005年頃からソマリア沖やアデン湾では、海賊による航行船舶に対する海賊行為が相次いでいた。日本関係船舶の同海域での年間通航量は全体のおよそ1割を占めていたが、船舶の護衛は外国任せであった。 当然海賊対策のための対処が必要となった。
2009年1月に政府は海賊対策プロジェクトチームを発足させ、報告案のもとに、自衛隊法第82条に基づく海上警備行動を発令し、これを根拠法として護衛艦の派遣を決定し、6月19日海賊対処法が成立した。
現防衛大臣河野太郎氏は海賊対処法の背景について自身のホームページで紹介している。
(衆議院議員河野太郎公式サイト)

2011年からはじまったアラブの春

2011年と言えば日本は東日本大震災の起こった年であり、津波によって引き起こされた福島原発事故は今なお記憶に新しい。
一方チュニジアで起こった政府抗議の焼身自殺は中東アラブ・イスラム諸国の長期独裁政権打倒を目指すイスラム大衆運動として燎原の火のごとく燃え盛り始めていた。チュニジアのベンアリ政権は打倒され、エジプトではムバラク政権が崩壊し2012年にはイスラム過激派のモルシ大統領が当選した。リビアではカダフィ大佐が反体制派に射殺され内戦に陥った。
2003年のイラク戦争後、復興が軌道に乗ったかに見えたイラクではイスラム過激派による激しい反体制テロが勢力を拡大していた。シリアに飛び火した反体制デモは全国に広がりアサド政権は容赦ない軍事弾圧を強行し、2012年には泥沼の内戦状態に陥っていた。
一連の大衆運動はアラブの春と称され、イスラム型民主主義を希求する運動として期待される要素を含んでいたと思われるが、アラブ・共和国諸国の行き過ぎた反米感情は健全な政治改革をゆがめ過激なイスラム原理主義に主導されることとなりISIS「イスラム国」を台頭させる結果を招いた。それに対し穏健なイスラム主義を維持し親米的国家諸国の湾岸6か国はイスラム過激主義による国家転覆、内戦には陥らなかったのである。

日本のエネルギー政策の転換

(出所)経済産業省資源エネルギー庁「エネルギー白書2019」をもとにSustainable Japanが2020/4/16作成
(出所)経済産業省資源エネルギー庁「エネルギー白書2019」をもとにSustainable Japanが2020/4/16作成

2011年、日本は東日本大地震によって引き起こされた津波による福島第一原発事故により、原発からもたらされるベース電源が大きく失われた。
左のグラフ「日本のエネルギー・発電の供給量割合」を見ていただきたい。福島原発事故の前年2010年度の総発電量に占める原子力発電量の割合は30.8%であった。それが2012年には一気に数%までに落ち込んでいる。生活と産業・経済に必要な電気量の節電には限界があり、発電供給量を減らすわけにはいかない。そこで失われた原子力発電による発電供給量を代替することになったのはLNG(天然ガス)と石炭による火力発電であった。
原発神話の崩壊は原発アレルギーを生み、直ちに原発ゼロの極論も生じた。しかし2012年末の衆議院総選挙の結果、国民は自民党を選び第二次安倍内閣が誕生した。原発についてその選挙で自民党が掲げた公約はエネルギー・ベストミックス政策であった。ざっくり言えば原発による電源を何パーセントにするかの数値目標は今後10年(2013年から)、原発における科学技術の発展も含め決定していく、であった。
それまで原子力発電は石油による火力発電に代替しCO2削減のクリーン・エネルギーとしての役目を果たして来た。しかも化石燃料を燃やして得られるエネルギーより格段に膨大なエネルギーを発生する原子力は燃料資源の少ない日本にとって最大のエネルギー源だとする位置づけであった。今でもその位置付けを変更する必要はない。問題はその安全性を原子力科学技術によっていかに克服できるかにある。つまり、これまでの原子力発電の安全性を改善しながらも、トリウム原発の開発も含め国家を挙げた安全な原発に取り組むことが出来るかが課題なのである。

安倍首相の中東訪問―積極的平和外交

(2013年4月30日、サルマン・サウジアラビア皇太子との会談(写真提供:内閣広報室)
2013年4月30日、サルマン・サウジアラビア皇太子との会談(写真提供:内閣広報室)

2013年安倍首相は二度にわたって中東を歴訪した。4月30日―5月1日サウジアラビア、5月1日―2日アラブ首長国連邦、5月2日―3日トルコ。8月24日―25日バーレーン、8月26日クウェート、8月27日ジプチ、8月28日カタール。
アラブの春は湾岸諸国にも波及しており、日本が経済的国益のみを求めてやってきた、と思われれば各国多寡の違いはあってもイスラム過激派による対日批判を政府に向け反体制運動に火をつけることにもなりかねない。1990年代「油乞い外交の日本」との批判を受けた。日本はその後10年間のPKO活動、2000年代に入ってからのイラクの復興活動、インド洋での海上給油活動、アデン湾、アラビア海、での海賊対処等々の国際貢献により、中東諸国からも評価されるようになってきていた。

(2013年8月26日、安倍首相はクウェート、ジャービル首相と会談
2013年8月26日、安倍首相はクウェート、ジャービル首相と会談

安倍首相は積極的平和外交を掲げ、中東湾岸の訪問で日本と湾岸各国との「安定と繁栄に向けた包括的パートナーシップ」に向け関係を強化することを宣言した。エネルギーを中心とする枠を超えたつながりを作る、として、農産品や医療機器の技術での協力推進、原子力分野での技術協力、政治・安全保障での協力、外交・防衛当局間対話、教育・文化の人的交流を打ち出した。
目指す第一目的は「石油・ガスの安定供給」であったことは言うまでもないが、先に大雑把に説明したように中東アラブ諸国はアラブの春の大混乱の真っただ中で、しかもアラブの春はアラブ・イスラム諸国の政治地図をどのように塗り替えていくのか予想のつかない状況を呈していた。そのような中東情勢の中で積極的平和外交として湾岸諸国との絆を深めたことは時宜を得た意義ある歴訪であった。

イスラム過激主義の激化と日本の主体的中東外交

アラブの春はアラブ・イスラム地域を穏健イスラム主義VSイスラム過激主義へと変容させて行った。チュニジアは何とか穏健イスラム主義が政権を維持し、エジプトは長期独裁政権ムバラク大統領崩壊後一年間のイスラム過激政権(モルシ大統領)を経て穏健イスラム主義シシ大統領となった。リビアはカダフィ大佐死後内戦となり今なお内戦状態が続いている。イェーメンはサウジ系穏健スンニ派とイラン系過激派とスンニ派イスラム過激派の三つ巴の内戦状態となった。そのような中東情勢にイラクとシリアにまたがるISIS「イスラム国」が現れた。
2014年6月29日の「イスラム国」宣言からその崩壊までの約3年間、世界はイスラム国VSアメリカ主導有志連合60カ国の構図となった。

「イスラム国」包囲網、湾岸諸国と有志連合結成2014年9月24日=産経新聞記事
「イスラム国」包囲網、湾岸諸国と有志連合結成2014年9月24日=産経新聞記事
「シリア内戦への各国からの参加人数」2014年11月4日=読売新聞記事
「シリア内戦への各国からの参加人数」2014年11月4日=読売新聞記事

日本はテロとの闘いに与し有志連合に加わった。それを知った「イスラム国」は日本の外交団等にテロ攻撃を加えると宣言した。
日本は9.11以降、テロとは交渉しない、テロには屈しない立場を明確にした。
安倍首相は「自由と民主主義の価値観を共有できるいかなる個人、団体、国家に対して、日本は受け入れ支援する」を外交の基本に据えた。
唯一神アラーを信ずるイスラム諸国と、天を仰ぐ日本と共通する自由と民主主義の価値観の内容は「身体的、物質的、経済的のみならず宗教的、精神的、思想的な自由・平等に基づく民主的な平和国家・世界実現である」と言明したい。加えて、自由・平等の民主主義の価値観は自主的、自立的、相互尊重の環境の中で育まれ、イスラム過激派のような独善・排他的感情に支配された抑圧的・強制的・暴力的環境の中では育まれないことを指摘したい。

積極的平和主義

ベニグノ・アキノ3世フィリピン大統領
ベニグノ・アキノ3世フィリピン大統領

日本のこれまでの国連PKO活動は諸外国から高い評価を獲得した。また、9.11テロ以降のアメリカの‘テロとの闘い’に対し日本は理解し、できる限りの支持を行動で示してきた。そのような基盤の上に、日本は「積極的平和主義」を掲げ、世界の平和と安定そして繁栄に貢献することを表明する事が出来た。
安倍総理は60カ国以上の国と地域を訪問し安全保障上の協力関係の強化、「法の支配」の強化、人間の安全保障や女性が輝く社会の実現、ODAの活用等々を訴えた。
2016年6月3日、ベニグノ・アキノ3世フィリピン大統領は日本国会での演説で「日本の積極的平和外交は一貫して我が国の復興に尽力し、緊張高まるフィリピン海域において戦略的パアートナーとして自由の最前線に立ってくれ、先の大戦でのつらく苦い対立した過去を癒やてくれた」と語り、「かつて、日本の戦艦『伊勢』は(レイテ)海戦でフィリピン海域を航行したが、2014年の台風の時、同じ名前の護衛艦「いせ」が救援、思いやり、そして連帯を、被災者に届けてくれた」と語った。

平和安全法制

安全保障関連法案(安保法制)が2015年9月19日、与野党の激しい攻防の中、参議院本会議で採決し可決、成立した。
安全保障関連法案(安保法制)が2015年9月19日、与野党の激しい攻防の中、参議院本会議で採決し可決、成立した。

2015年9月19日、安全保障関連法案(安保法制)が成立した。この安保法制の成立は、安倍内閣の2012年12月政権発足以来、日本自体の防衛における安全保障における課題すなわち国際情勢に合致する集団的自衛権、日本の防衛計画、武器輸出三原則の見直し等、同時に、国際平和活動における自衛隊の「駆けつけ警護」「宿営地の共同防衛」、更にその事を可能にする準備(情報収集、教育訓練)の内容を総合した。総仕上げであった。
自衛隊による国際平和協力活動は、近隣アジア諸国、中東諸国、アフリカなど全世界で実施されてきた。国連PKOへの参加だけでなく、国際社会の平和のために活動する他国軍隊への支援も含めた自衛隊による国際平和協力をスムーズに可能にする法制度として、安保法制は2016年3月29日、施行された。

一衣帯水の運命共同体となった中東と日本の平和

シーレーンにおける船舶の安全確保は自由で開かれたアラビア海、インド洋、マラッカ海峡、南シナ海、東シナ海、そして南太平洋の安全保障として喫緊の課題となっている。
過去、日本はインド洋上でアルカーイダやターリバンの海上テロを阻止する活動を行っていた米、英、仏、独、パキスタン、NZにインド洋給油支援活動を行った。10数年経た今日、「自由で開かれたインド太平洋安全保障」としてインド、米、英、豪、との安全保障は格段に強化された。

ソマリア沖・アデン湾における自衛隊の海賊対処行動(首相官邸ホームページ)
ソマリア沖・アデン湾における自衛隊の海賊対処行動(首相官邸ホームページ)
インド南部チェンナイ沖で合同訓練に参加した海上保安庁の巡視船「えちご」とヘリ(2020年1月17日世界日報記事)
インド南部チェンナイ沖で合同訓練に参加した海上保安庁の巡視船「えちご」とヘリ(2020年1月17日世界日報記事)

ソマリア沖、アデン湾、アラビア海、のシーレーンにおける海賊対処は、10年以上継続されている。
2020年1月11日―15日、安倍首相はUAEとオマーンを訪問した。昨年末閣議決定した海上自衛隊の護衛艦を中東に派遣するに当り補給地を確保するためだ。アラビア海北部海域への海上自衛隊派遣は初めてのことであり、イランとオマーン、そしてUAEの関係するホルムズ海峡近くまでの派遣に対し、日本は自衛隊法の「調査・研究」を名目とし、米主導の有志連合には加わらないことを決定した。日米同盟における信頼を揺るがすことなく、しかも日本とイランとの歴史的友好関係を毀損する事の無いように配慮した外交であった。
UAEのアブダビ首長国ムハンマド皇太子からは「沿岸国として具体的支援を惜しまない」としてフジャイラ港を補給地とする了承を得る事が出来、イランと友好関係を保っているオマーンからはサラーサ港を補給地として調整する事に成功した。

海上自衛隊護衛艦補給基地:地図上UAEフジャイラ港、地図下オマーンのサラーサ港。濃青部分は活動海域(2020年1月17日世界日報記事)
海上自衛隊護衛艦補給基地:地図上UAEフジャイラ港、地図下オマーンのサラーサ港。濃青部分は活動海域(2020年1月17日世界日報記事)

東京タワー(333メートル)の高さを超える超大型原油タンカーは約40日かけて中東と日本を往復している。アラビア海を航行する船舶の一割が日本関係の船舶だ。シーレーンの船舶の安全は「公海における航行の自由」として守られなければならないとすれば、日本はこの「航行の自由作戦」にどの国よりも積極的にその役割を果すべきだ。
そして中東・湾岸諸国との関係はエネルギー中心としての繋がりを超えた包括的パートナー関係として実らせて欲しい。海自護衛艦の派遣が中東平和の増進に繋がる契機となる事を期待して止まない。

(完)