201602

サウジVSイラン

サウジを中心とするアラブ穏健派がイスラムを主導できるか、の正念場

NPO法人サラーム会会長 小林育三

電子季刊紙 Salaam Quarterly Bulletin, 2016年2月, 春季号より


イラン群衆がテヘランのサウジ大使館を襲撃したことを伝えるUAE の「ナショナル」

正月2日、在テヘランのサウジアラビア大使館がイランの暴徒により火炎瓶が放たれ、大使館侵入がなされたことから(イランでのサウジアラビア大使館襲撃事件)、サウジは「国際法で護られるべき大使館に対する暴挙をイラン政府は防ぐことができなかった」としてイランとの国交を断絶した。バーレーン、スーダンも続いて断交。そしてクウェートとUAEは駐イラン大使の召還に踏切った。

アメリカ、UN、ロシアは、両国の対立がこれ以上激化しないよう自制を求めた。

サウジとイランとの対立は、イスラム教内のスンニ派とシーア派との宗派対立による代理戦争である、との見方が一般的である。しかしアラブの春、過激派組織「イスラム国」(IS)の出現、そしてテロの拡散と難民流出と続く中東情勢はこれまで予測のつかない展開を呈してきた。

サウジによるイランとの断交は、その背景について振り返りみると、サウジを中心とするアラブ穏健派がイスラムを主導できるか否かの正念場を迎えての決断によるもの考えられる。

イランでのサウジアラビア大使館襲撃事件、発端と推移

サウジアラビア内務省は、テロに関与した47人の死刑を執行した、と発表。処刑された死刑囚の多くはアルカイダのメンバーであったが、サウジのイスラム教シーア派指導者ニムル師が含まれていた。師は2011年から2012年にサウジに対する反政府抗議活動を主導したとされ死刑判決を受けていた。シーア派を国教とするイランは師をシーア派最高位の聖職者としており、イランの最高指導者ハメネイ師(司法、立法、行政、軍の最高指導者、故ホメイニ師の後継者)はニムル師の処刑を受け、「神は許さない」と断罪、「サウジの政治家には間違いなく神の報復が降りかかる」と非難した。


イランの最高指導者ハメネイ師

サウジの対応は速かった。翌3日、サウジのジュベイル外相がイランとの国交を断絶すると発表。4日にはサウジの航空当局が、イランとサウジを結ぶ全ての航空便を停止することを決定。(メッカへの巡礼については認める方針とするが、直行便がなくなれば渡航に支障が出る)

米国やUNは、両国の対立がこれ以上激化しないよう自制を求めるよう働きかけ、ロシアやトルコは両国の仲介をする用意がある、と発表した。

収まりがつく様子が見えぬ中、7日、イラン政府は「イェメン首都サヌアでサウジアラビアがイラン大使館を空爆した」と発表。さらにイラン外務省報道官は「サウジによる意図的な攻撃を非難する」「大使館空爆についてのイラン政府報告書を国連に提出し、UN安全保障理事会においてサウジへの抗議を求める」と述べた。(2016年1月8日朝日新聞デジタルより抜粋)

国営サウジ通信は、翌8日イスラム連合軍司令部の声明として「サウジ主導のイスラム連合軍は大使館のある地域での軍事行動を展開していない」と発表し、サウジ軍機によるイラン大使館空爆を否定した。

アラブの春から始まったイェメン内紛


ノルウェーのノーベル委員会は2015 年のノーベル平和賞をチュニジアの多元的民主主義建設に決定的役割を果たした4団体「チュニジア国民対話カルテット」に与えると発表した。

2003年イラク戦争から米欧に強まったアラブ・イスラム国家に対する民主化圧力に対し、アラブ・イスラムの大衆には’米欧型の民主化はアラブ・イスラム社会には適さない”米欧主導によらない、アラブ・イスラム自身の手による民主化を実現しよう’という意識が形成された。その意識はIT機器を活用する若者の間に急激に広がって行った。チュニジアに始まる「アラブの春」は’米欧と手を結び私服を肥やす腐敗した長期独裁政権を打倒しよう’、という政治的スローガンとなりスマートフォン等の普及により一気にアラブ・イスラム諸国にソーシャル・ネットワークを通じて、各国の反政府運動として展開する事となった。


サレハ イェメン初代大統領


ハディ イェメン大統領

アラブの春はチュニジア、エジプト、リビアでの長期独裁政権打倒に成功した。イェメンも例外ではなく30年続いたサレハ大統領を辞任に追いやった。しかし大統領がシーア派であることが前記3国とは異なる経過を辿ることとなった。それはシーア派の大統領を抱えていたシリアとも異なり、シーア派の首相が実権を持ったイラクとも異なっていた。


フーシ派の兵士。北イェメンで勝利を収め、サウジなどの干渉を招き、全面的内戦に突入した。

2012年2月、イェメンではサレハ大統領からスンニ派のハディ暫定大統領(サレハ大統領政権下の副大統領)に政権が委譲された。しかしシーア派系フーシ派は、その政権移行にサウジが関与した、として武装闘争を開始した。2014年夏頃からシーア派の武装組織が攻勢を強めたことに対し、ハディ大統領は、フーシ派武装組織にはイランからの武器が流れている、と警戒を強めていた。そんな中2015年1月、フーシ派武装組織はハディ大統領邸宅を制圧し、大統領はアデンに逃れることとなった。

フーシ派武装勢力のクーデター後3月3日、イラン政府は食料、医療支援の拡大、として航空機をイェメンに派遣し、「今後両国を結ぶ定期便の就航」をフーシと合意した。これまでフーシへの武器や資金の供給を否定してきたイランだが、フーシの支配体制が確立されたと見て支援をおおっぴらにしたと言える。3月中旬にはイェメンのタイズ空港(首都サヌアとアデンの中間に位置)がシーア派に占拠され、同国駐留の米軍特殊部隊は治安悪化のため撤退を余儀なくされた。

湾岸連合軍がイェメンに軍事介入

ハディ・イェメン大統領の要請を受け、サウジ政府は「国際社会が認知する正当な政府を支持し、イェメンがフーシ派の手に落ちることを防ぐため」として2015年3月26日、湾岸5カ国による連合軍(サウジ、UAE,クウェート、カタール、バーレーン)としてフーシ派の拠点を空爆した。

イェメンには「アラビア半島のアルカイダ」の過激派組織が強い上、3月20日にはサヌアで140人以上が死亡するテロが起こり、「イスラム国」(IS)が犯行声明を出した。

イェメンの内紛はサウジとイランによるスンニとシーアとの代理戦争である、とのイメージを与えているが、もし内戦に陥れば「イスラム国」(IS)はそれを好機として外人部隊を動員し勢力拡大を図ることは火を見るより明らかだ。したがってサウジを先頭とする湾岸諸国が空爆に踏み切ったのは、イェメンの内紛を終息に向かわせるとともに、「イスラム国」(IS)やアルカイダのそれ以上の跳梁を阻止するためでもあったと考えられる。


2015 年3 月、アラブサミット記念写真

2015 年5 月11 日サウジ主導湾岸合同軍によるイェメン首都サヌア空爆

3月28,29日の2日間、アラブ首脳会議(アラブ連盟主催)が開催され、「アラブ合同軍」の創設が合意された。そこにおいてサウジはイェメンへの軍事介入に対するアラブ首脳の理解を求め、大多数の支持を取り付けている。又、27日にはオバマ大統領はサウジのサルマン国王と電話で会談し、サウジによる軍事介入を支持する、と伝えていた。 米欧のイランとの核協議にサウジが強い懸念を抱いていた折、イェメンのフーシ派拠点への空爆についてはアメリカから支持された格好となった。

アラブ合同軍の創設合意から「イスラム軍事連合」結成へ

「アラブ合同軍創設」は合意されたものの、具体的内容についての検討に時間がかかる中、
9月30日にはロシアのシリア空爆が始まった。合同軍を主導する立場にあるエジプトとサウジとは、シリアのアサド政権を擁護するロシアに対する見方が異なったと伝えられた。ムスリム同胞団とそれにつながる過激な聖戦主義者、「イスラム国」への掃討につながるのであればと期待しロシアのシリア介入を容認するエジプトと、シリア問題へのロシア介入を良しとしないサウジとの間で意見の調節が必要となった。


ロシアの空爆後、黒煙を上げるシリアのホムス市= 9 月30 日(テレビ映像撮影)

2015年12月15日、サウジは「中東、アフリカ、アジアの34カ国・地域から成る対テロ「イスラム軍事連合」を結成すると発表した。 軍事連合はサウジが主導し首都リヤドに作戦本部を置く。欧米との連携も視野に入れており、ムハンマド副皇太子(国防相)は「イスラム世界や国際社会を襲うテロと戦う熱意から生まれた」と述べた。(カイロ時事)


2015 年12 月15 日、サウジは「中東、アフリカ、アジアの34 カ国・地域から成る対テロ「イスラム軍事連合」を結成すると発表した。サウジ国営通信は前日記者会見を行ったサルマン副皇太子の写真を配信した。

「アラブの春」と過激派組織「イスラム国」を一括りにすることは正しくない。「アラブの春」はアラブ・イスラム民衆によるイスラム民主国家への希求であるのに対し、「イスラム国」(IS)は過激なイスラム主義者(聖戦主義者)によるイスラム法を絶対視するシャリア(イスラム国家)を目指し、それを受け入れない一切の勢力に対しジハード(テロを含む聖戦)が成り立つとして戦闘を加える。異教徒であるとか、シーア派であるとか、関係なく無差別にテロの対象とするのである。

湾岸諸国にとってその脅威を取り除くことは焦眉の急であり、レバノンのシーア派過激組織ヒズボラ、イラクのシーア派サドル師、イェメンのシーア派系フーシ派以上に優先される先決事項なのだ。イェメンにおいてスンニ派とシーア派の内紛を惹起させようとしているのはアルカイダであり、「イスラム国」(IS)である。したがって、「イスラム軍事連合」の結成は、イェメンでのスンニとシーアの抗争がアルカイダや「イスラム国」(IS)の戦略に利用され、シリアのような泥沼の内戦に引き入れられないため、という当面の課題解決が引き金になっていることは間違いない。サウジを先頭とする湾岸諸国は、「イスラム軍事連合」の結成によりイスラム過激派組織をイスラム社会と国際社会の共通の敵と断定しテロとの戦いを闡明にしたのだ。

国家としてのサウジの穏健的スタンス

1)1973年、第4次中東戦争時日本は石油危機に見舞われた。湾岸6カ国はOPEC(アラブ石油輸出国機構)加盟のエジプトとシリアの対イスラエル戦争支援のため、公示価格を一方的に70%引き上げた。さらに、イスラエルに友好的な国に対して原油輸出を全面的に禁止する、とした。そのとき強硬的だったのがイラン、リビアで穏健的であったのがサウジであった。


米メリーランド州のガソリンスタンドに長い行列 = 1979年6月15日

1979年、イラン・イスラム革命のとき、日本は第2次石油危機に見舞われた。米英はイランにおける石油権益を一挙に喪失。イラン原油生産は1978年12月28日から翌年3月6日まで完全にストップとなり、世界は大不況に陥った。そのときサウジは「原油価格は市場原理に委ねるべきだ」と主張した。

これら二度の出来事から、サウジはイスラム教国としての経済原則を国際経済の原則にまで強引に適用することはせず、世界経済を支配する市場原理に委ねたと考えることができる。国際社会はサウジのその主張に対し、穏健的スタンスとして記憶している。

2)1990年8月、故イラク大統領サダム・フセインのイラク軍はクウェート国境を侵犯した。国連安保理は即日全会一致でその侵攻を否定しイラク軍撤収要求を決議した。(国連安全保障決議案660号) 安保理はイラク軍撤収要求のための努力、とくにアラブ連盟による努力を全面的に支援することを約束した。


アルカタン博士: バーレーンの司法省宗教局局長


サラマー博士: サウジの海外情報担当副大臣

しかし言を左右し応じないイラクに対しアラブ連盟は解決策に行き詰った。たとえアラブ合同軍を結成できてもイラク軍を撃退できる可能性は低かったからだ。スンニ派グランド・ムフティによる宗教会議は、イラクのクェート侵攻はコーランの掟を犯すものだとし、イスラムの本当の敵は西側ではなく不信心な者であることを前提に「アラブ世界も非アラブ世界も、イスラム教徒も非イスラム教徒も、抑圧者サダム・フセインに侵略を止めさせようと努力してきた。抑圧者が応じることを拒否してきたのだから、戦争は許される」と語り、国連の名の下における武力行使に賛成の意を示した。

多国籍軍が編成され参加した国のうち①イスラム国家は13カ国、そのうちアラブ・イスラム国家は湾岸六カ国とエジプト、シリアの8カ国であった。’多国籍軍受け入れ’は、サウジ国内でウサマ・ビン・ラーディンらによる意見も浸透していたが、ファハド国王の決断によって実行された。サウジが国連憲章に表される加盟国としての共通の価値観を尊重し、国際社会と共に国際法と国際秩序を護るための戦争に参戦した。

3)昨年4月東京で開催された②GCC Days in Japanで、バーレーンの宗教局長アルカタン博士は「それぞれの宗派、思想、考えは平等に扱われる。またコーランでは1人を殺すことは人類全体を殺すことである、と教えている。互いを尊重し、敬意を表す。人種、民族の違いを超え人間性の尊重が出発点であることはユネスコ憲章に示されているとおりである」(季刊サラーム第14号P4)と指摘した。

さらに2015年2月にはサウジのメッカでテロの追放を決議したこと、クウェートのサバーハ首長の人道主義推進が2014年9月の国連で”人道支援指導者”として表彰されたことを紹介しつつ「イスラム国」(IS)に対してGCCは積極的な取り組みを為してきた、と述べた。

又、サウジの海外情報担当副大臣サラマー博士はディスカッションの場で率直に、「ISの犠牲者はわれわれだ。迷惑している。我々の社会は一致してこれに対抗しており、40カ国がこれと戦っているのが実状だ」と強く語った。

おわりに

今年年頭の「イランでのサウジアラビア大使館襲撃事件」をめぐり、サウジが強行に出たと見る向きが多く、サウジVSイランの構図が一層鮮明になったと報道された。その先入観により「サウジがイェメンのイラン大使館を空爆した」というイラン政府の発表は、「イランでのサウジアラビア大使館襲撃事件」に対するサウジの報復か?と思わせた。また、サウジのイラン政府との国交断絶に対しても’サウジはやりすぎで、イランは抑制的だ’、とのイメージとして報道された。

果たしてこの与えられた先入観は歴史の事実を教訓としたものだろうか?

縷々記してきたように、そうではない。サウジを中心とする湾岸諸国は「イスラム国」(IS)に最も近い周辺国であり、イラク、シリア、イェメンの次のターゲットなのだ。有志連合の攻勢によりISはリビアに移動した。その理由はIS支配のシリアの石油施設への攻撃が進み、資金源に支障が来たし、新たな資金源としてリビアの石油施設をターゲットにしたからである。


2016 年1 月10 日、「イランでのサウジアラビア大使館襲撃事件」を受け、エジプトのカイロで開かれた緊急外相級会合(アラブ連盟主催)。アラブ諸国にイランの干渉に対して明確な立場をとることを求めた。

2016年1月10日、「イランでのサウジアラビア大使館襲撃事件」を受け、エジプトのカイロで開かれた緊急外相級会合(アラブ連盟主催)についてエルサレム時事は次のように伝えている。

「イランの敵対的行動と挑戦」を非難する共同声明を発表、シーア派武装組織を抱えるレバノン以外の加盟国が支持した。サウジのジュベイル外相は、「イランがアラブ諸国への内政干渉を続けるならアラブ全体を敵に回すことになる」と指摘。

サウジがイランに向かって強行なのでもなければ、やり過ぎなのでもない。イランこそアラブ諸国への内政干渉をしているのだ。その結果スンニとシーアの対立激化が強まれば、過激組織を利するのみである。

サウジを中心とするアラブ・イスラム諸国は国際法と国際秩序を護る立場からの行動をとっているまでであり、今回の大使館事件を前後する一連の出来事はイランのアラブ諸国への内政干渉と言うべき事件であった。

「イスラム軍事連合」を成功裡に船出できるか否かは、サウジを中心とするアラブ穏健派がイスラムを主導できるか否かにかかっている。サウジは今その正念場を迎えていると言えよう。

サウジを中心とする湾岸諸国の健闘を心より祈る者である。


脚注

①イスラム国家は13カ国、
多国籍軍に参加した国一覧(出典:ウィキペディア)
北・南米:アメリカ合衆国、カナダ、アルゼンチン、ホンジュラス
ヨーロッパ:イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、イタリア、ギリシャ、デンマーク、ノルウェー、ベルギー、オランダ、ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー
アジア:韓国、バングラデシュ、パキスタン、アフガニスタン、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーン、クウェート、サウジアラビア、シリア、トルコ
オセアニア:オーストラリア、ニュージーランド
アフリカ:エジプト、モロッコ、ニジェール、セネガル、ガンビア

②GCC Days in Japan
季刊サラーム2015年5月、第14号より転載
GCC DAYS IN JAPAN 東京開催22nd~24th April 2015
 湾岸協力理事会(GCC:The Cooporation Council for the Arab States of the Gulf)は2004年パリでの開催を皮切りに毎年GCC Daysを開催してきた。過去10年間は主にヨーロッパで開かれてきたが、第10回目の開催国を日本とし東京開催となった。主催者を代表してアルガッサーニ閣下は「GCC加盟国(湾岸6カ国)は統一的立場で開催国での会議を通し開催国とのより良い関係を創ることが目的です」と挨拶した。


2015 年4 月22 日、レセプションの開かれたコンラッド東京ホテル

主催者挨拶、GCC 文化情報担当事務局長補 アルガッザーニ閣下


他の記事は、電子季刊紙 Salaam Quarterly Bulletin, 2016年2月, 春季号にて…