「ハマス」の大規模テロは、パレスチナのためにならない
NPO法人サラーム会会長 小林育三
10月7日6時半ごろ、パレスチナ暫定自治区ガザを実効支配するハマスが、ガザ地区から大規模なロケット攻撃。ハマスの軍事部門カッサム旅団によるロケット弾は5000発以上。それだけではなくハマス戦闘員がイスラエル側に侵入。ガザを囲むイスラエルとの分離壁の検問所を含む7箇所をフェンスごと爆破し、武装戦闘員を乗せた複数の車がイスラエル側に侵入またゴムボートで海からの侵入、動力付きのパラグライダーを使ってコンクリートの分離壁を越えての侵入もあった。
これに対しイスラエル側は、ネタニヤフ首相が「われわれは戦争状態にある」とする声明を出して、報復作戦を開始。ガザ地区にあるハマスの拠点などに対して、連日激しい空爆を行った。(2023年10月10日NHK国際ニュースナビより)
2023年10月7日土曜、ハマス指導者のイスマイル・ハニヤ氏は、パレスチナ武装勢力は、ガザ地区での戦いを、ヨルダン川西岸地区とエルサレムにも広げると述べた。(ARABNEWS Japan より)
「われわれは戦争状態にある」との声明を出すイスラエル ネタニヤフ首相(写真は2023年10月7日NHK国際ニュースナビより)
ハマス指導者、イスマイル・ハニヤ氏。(ロイター/ファイル)(写真はARABNEWS Japan より)
10月15日の時点でイスラエル人の死者は1300人、パレスチナ人の死者は1400人とされ、かつてない犠牲者が双方で発生している。更にハマスは150人以上の人質を連れ去った。ガザ地区との境界付近で開かれていた野外音楽祭をハマスとパレスチナ・イスラミック・ジハード(PIJ:イスラム聖戦)が襲撃し260人以上を虐殺した。このような非人道的残虐行為に対して欧米を初め日本もハマスの攻撃を「テロ」と断定している。罪のない一般市民に対する攻撃や誘拐はどのような理由があろうと正当化できない。又、イスラエルが国際法に従って、自国や自国民を護る権利を有することは当然だ。
一方、ハマスの最高指導者でありハマスの創設メンバーであるハリド・マシャル氏は世界中のムスリムに「13日金曜日、イスラム教の国々で、世界中のムスリムは怒りを示せ・・・シオニストとアメリカに怒りのメッセージを示せ」「世界中のムスリムに財政援助を求める。・・・・ジハードを、殉教者になる事を」と対イスラエルとの戦争参加を呼びかけた。
事態は予測不能の拡大に向わんとしている。ハマスはそれを願い、パレスチナ・イスラミック・ジハード(イスラム聖戦=アルカーイダと同類)もそれを願い、イラン革命防衛隊はそれを支持し、ヒズボラは既に参戦している。しかしこれはパレスチナのためにならない。ガザ全体を自爆テロに引きずり込む狂気の攻撃だ。ファタハの進めてきた二国家共存の道にも到底繋がらない。
イスラエルを受け入れない「ハマス」
「ハマス」は、1987年12月、ガザ地区で発生した第一次インティファーダ(大衆蜂起)がパレスチナ全域に拡大した際、同地区の「ムスリム同胞団」最高指導者シャイク・アフマド・ヤシン(2004年死亡)が、武装闘争によるイスラム国家樹立を目的として設立した武装組織である。(公安調査庁ホームページより)
当時、PLO(パレスチナ解放機構)代表アラファトが武装闘争を放棄し、イスラエルを認める方向に傾き始めていたとき、それに反対したデモが第一次インティファーダである。「ハマス」が武装闘争によるイスラム国家樹立を標榜する根底にイスラエルの生存権とイスラエル国家存立否定があることを見逃してはならない。更に言えば、「ハマス」はイスラエルに対するジハードを宣言する一種の宗教集団として出発している。そのような本質はエジプトにおいてイスラエルとの国交・平和条約を結んだアンワール・サダト大統領を暗殺した「ジハード団」と同じである。(ちなみにジハード団もムスリム同胞団から派生した)
オスロ合意
1993年9月のオスロ合意の重要なポイントは、PLO(パレスチナ解放機構)代表アラファト議長がイスラエルを国家として認めたことであり、イスラエルがアラファト議長をパレスチナの正当な代表として認めた事である。両者は「二国共存」を認めたのである。
暫定自治政府原則の宣言 調印後に握手をするイスラエル・ラビン首相とPLOアラファト議長。中央は仲介したビル・クリントン米大統領(ウィキペディアより)
1994年5月、パレスチナ暫定自治協定に基づきパレスチナ人による暫定的自治がガザ地区とヨルダン川西岸地区で開始された。その行政府長官はアラファト議長が務めた。2004年アラファトの死後2005年には選挙でアッバス議長が選ばれた。(ファタハは穏健派、ハマスは過激派、政治的派閥と見做されるようになった)
ハマスはオスロ合意後、PLOとイスラエル政府間の和平交渉にたいし自爆テロで抵抗した。オスロ合意後、スンニ派のイスラム過激派はアルカーイダを中心としてグローバルジハード運動として世界各地で爆弾テロを展開した。特にウサマ・ビン・ラーディンとザワヒリの署名で「ユダヤ・十字軍に対する国際イスラム戦線」を結成し、アメリカと同盟国の国民の殺害を指令した。この宗教的指令(ファトワ)はアメリカに対する一種の宣戦布告であった。2001年の9・11米同時多発テロの首謀者をアルカーイダとする所以である。
今回のハマスのテロ攻撃後、11日に呼びかけられたハマスの最高指導者マシャルの呼びかけは、10月13日金曜日に「全世界のムスリムに向かって、怒りを示せ・・・」という内容である。この呼びかけは、ビン・ラーディンもザワヒリも亡き後ハマスのマシャルがパレスチナに特化した全世界ジハードを呼びかけたものであり、9・11を思い起こさせた。しかしその呼びかけは失敗した。大多数のムスリムは20年前のようにその呼びかけに同調しなかったからだ。
‘テロとの戦争状態’となったアラブ諸国
2010年末、チュニジアで始まったアラブの春はリビア、エジプト、イラク、シリア、イエメンそして湾岸諸国とアラブ諸国の全域に及び、アラブ共和国の多くは今も内戦状態だ。とりわけ2014年に国家樹立宣言を一方的にしたイラク・シリアに跨がる「ISISイスラム国」は世界をテロの恐怖に陥れた。アルカーイダとともに世界イスラム帝国を目指すグローバルジハード運動としてテロを正当化した。ここに至ってアラブ諸国は、イスラム穏健派VSイスラム過激派の対立構図としてテロとの戦争状態を呈するようになった。
サウジアラビアを先頭とする湾岸諸国はイスラム穏健派の諸国であり、「寛容と協調」に基づく国際協調路線を打ち出し、欧米諸国と対「イスラム国」との戦闘、対テロとの戦闘として協調してきた。
2015年12月に結成された「イスラム軍事連合」はアラブ合同軍として「イスラム国」やイスラム過激派との戦いを闡明にした。
2015年12月15日、サウジは「中東、アフリカ、アジアの34カ国・地域からなる対テロ「イスラム軍事連合」結成を発表。 軍事連合はサウジが主導し首都リヤドに作戦本部を置く。欧米との連携も視野に入れており、ムハンマド副皇太子(国防相)は「イスラム世界や国際社会を襲うテロと戦う熱意から生まれた」と述べた。(カイロ時事)
2014年7月に樹立したとする「イスラム国」は3年後の2017年には崩壊し、カリフとされたアブバクル・バグダディは2019年10月米軍の急襲を受け自爆。2001年の9・11以来の‘テロとの戦争’も2021年8月末、米軍のアフガニスタン撤収により区切りがついた。
2020年8月、アブラハム合意
そして何よりも、オスロ合意(1993年)以来具体的進展のなかった中東和平に新たな進展の祥をもたらしたのが、2020年8月15日のイスラエルとUAE(アラブ首長国連盟)との間に結ばれた「アブラハム合意」だ。この合意はイスラエルとパレスチナとの中東和平の直接の当事者同士の話し合いではないが、中東和平の内容について争点となる部分も検討した上での両国の合意であった。決してパレスチナ問題を置き去りにするものではなかった。
アブラハム和平協定合意:アラブ首長国連邦とイスラエル国間における平和条約及び国交正常化(左から)バーレーンのザイヤーニ外相、イスラエルのネタニヤフ首相、アメリカのトランプ大統領、アラブ首長国連邦のアブドッラー外相
かたくなに‘イスラエルを認めない、受け入れない’時代は過ぎ去ったのである。イスラエルの脅威を説くイラン包囲網は孤立にむかったのである。又イスラム過激派諸派すなわちIS(イスラム国)、アルカーイダ、ジハード団、自爆テロのように過激な武装闘争をすることでは、解決をもたらさないことを経験したからである。
ハマスの欺瞞
2005年9月、イスラエルはユダヤ人入植者のガザからの撤退と共にイスラエル軍のガザ地区からの撤退を決めた。そのかわりテロ防止やイスラエル側の安全のために、ガザ地区に分離壁を建設した。ハマスは病院や学校を建設したことによりガザの住民の支持を獲得、そのため2006年1月のパレスチナ自治評議会(定員132人)選挙では過半数の74議席を獲得した。しかしハマスは元々イスラエルに対し一方的な主張を述べるだけで、イスラエルの国権を認めない。こうなるとイスラエルはテロ組織として認定するハマスを交渉相手として認めルことは出来ず中東和平は中断した。
結局武力闘争やテロを繰り返すハマスの姿勢に、一時的にはハマスを支持したパレスチナ住民もハマスから離れるようになった。「イスラエルへの空爆や自爆テロによってガザの状況が少しでも改善につながることはない。ガザの人々の生活がもっと制限され、暮らしは非常に絶望的なものになってしまう」と言う住民の声が高まっていった。
2012年の投票ではハマスは選挙不参加を表明し、アッバス自治政府主流派ファタハの信任投票となった。その時ガザでの選挙は行わずハマスはガザを実効支配した。したがってパレスチナはヨルダン川西岸地区を支配するファタハとガザを実効支配するハマスとの分裂状態となった。
2014年7月8日 ~ 同年8月26日ハマスのものと思われるロケット弾により炎上するイスラエルの家屋
イスラエル軍が発見したガザ地区のトンネル
今回のハマスによるイスラエル攻撃
ガザ地区から発射されるロケット弾(上の二つの写真は2023年10月7日NHK国際ニュースナビより)
米紙ウォールストリートジャーナル(電子版)は8日ハマス幹部らの話として、イランがイスラエル攻撃計画の立案を支援していたと報じた。それによると「イスラエル国内の政治的隙を突き、米国が仲介するイスラエルとサウジアラビアの関係正常化を妨害するのが狙いだ」としている。陸海空からイスラエルに侵入する計画は、ハマス単独の立案かは不明だが、イランの精鋭「革命防衛隊」対外工作コッズ部隊幹部とヒズボラ等とハマスは8月以降会合を重ねていたとの情報が報道された。この情報についてイスラエルのネタニヤフ首相、ブリンケン国務長官、イスラエルのエルダン国連大使は未確認として慎重な姿勢を崩していない。
BBC NEWS Japan(動画説明)ガザ地区との境界付近で開かれていた野外音楽フェスティバルに参加していた女性が連れ去られる様子
ハマスが生き残りをかけガザを自爆テロに引き込む戦略に対し、イスラエルはハマスとPIJを一掃したいところだが、パレスチナのファタハとの意思疎通が十分でない事が最大のネックだ。更に背後にイランの関与がほぼ間違いない状況ではイスラエルの単独での実行は危険である。中東和平は正念場を迎えている。
(2023年10月18日記)