201708

イスラム教の攻撃性とイマームの「反テロ宣言」

小川敏 ウィーン在住ジャーナリスト

電子季刊紙 Salaam Quarterly Bulletin, 2017年8月, 秋季号より

現実を無視しては解決策は出てこない。イスラム過激派テロ問題の解決も同じだ。欧州でイスラム過激テロ事件から“ イスラム” を削除して過激派テロ事件と見なすことは論理的にも現実的にも詭弁に過ぎない。イスラム過激派テロ問題はやはりイスラム教に戻り、謙虚に解明していく以外にないだろう。“ あれは本当のイスラムではない” 式の論理では、解決はおぼつかないだけではなく、無責任な主張だ。

2015年年頭のフランス・パリ連続銃撃テロ当時のイスラム法学者の弁解


2015年1月7日風刺週刊誌「シャルリー・エブド」本社に覆面をした複数の武装した犯人が襲撃し、警官2人や編集長、風刺漫画の担当者やコラム執筆者ら合わせて、12人を殺害した。写真は事件が発生した数時間後の「シャルリー・エブド」本社周辺の通り。

イスラム過激派テロリストの3人がフランスで起こした仏週刊紙「シャルリーエブド」本社とユダヤ系商店を襲撃したテロ事件は欧州でのイスラム過激テロ事件の幕開けだったが、同国の穏健なイスラム法学者がジャーナリストの質問に答え、「テロリストは本当のイスラム教信者ではない。イスラム教はテロとは全く無関係だ」と主張し、イスラム教はテロを許してはいないと繰り返した。

一方、西側ジャーナリストは「世界でテロ事件を犯しているテロリストは異口同音にコーランを引用し、アラーを称賛している。それをイスラム教ではない、との主張は弁解に過ぎない。テロリスト自身が「イスラム教徒だ」と反論しているからだ。

唯一神信仰に潜む暴力性


神学者ヤン・アスマン教授

神学者ヤン・アスマン教授は「唯一の神への信仰(Monotheismus) には潜在的な暴力性が内包されている。絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力で打ち負かそうとする」と説明し、実例として「イスラム教過激派テロ」を挙げる。国際テロ組織アルカイダの行動にも唯一神教のイスラム教のもつ潜在的暴力性が反映しているというのだ。

同教授は「イスラム教に見られる暴力性はその教えの非政治化が遅れているからだ。他の唯一神教のユダヤ教やキリスト教は久しく非政治化(政治と宗教の分離)を実施してきた」と指摘し、イスラム教の暴力性を排除するためには抜本的な非政治化コンセプトの確立が急務と主張している。

ISやボコ・ハラムの暴力性をみると、アスマン教授の説の正しさを感じる。イスラム根本主義テロ組織は剣を振り回しながら、神の敵を処罰しなければならないといった使命感で暴走する。それに対し、同じアブラハムを信仰の祖と仰ぐユダヤ教とキリスト教にはその暴力性が見られないという。アスマン教授は「ユダヤ教やキリスト教は唯一神教の政治的な要素を排除するプロセスを既に経過してきた。ユダヤ教の場合はメシア主義(Messianismus:ユダヤ教の選民思想の根本)だ。救い主の降臨への期待だ。キリスト教の場合、地上天国と天上天国の相違を強調することで、教えの中に内包する暴力性を排除してきた」と説明する。

ユダヤ教とキリスト教の非政治化


故ヨハネ・パウロ2世

旧約聖書を読むと、ユダヤ民族の神は「妬む神」(出エジプト記20章)という。ユダヤ民族は過去、その神の願いに従って異教徒を打ち負かしてきた歴史がある。それが時間の経過と共に、その牙を抑えてきた。ちなみに、唯一神教の中でも、ユダヤ教だけは「宣教」をしない。なぜならば、彼らは神の選民だという意識を持つことのより、他宗派との位置の違いを明確にしたからだ。

一方、キリスト教は中世時代、十字軍の遠征に例示されるように、その暴力性をいかんなく発揮した。その後啓蒙思想などを体験し、暴力性を削除、政治と宗教の分離を実施してきた。しかし、世界に約12億人の信者を有するローマ・カトリック教会には、「イエスの教えを継承する唯一、普遍的なキリスト教会」という「教会論」が依然、強い。悪く言えば「真理を独占している」という宣言だ。元ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が公表した「ドミヌス・イエズス」(2000年) (注1) の中にも記述されている。

「宗教の歴史は絶対的真理と他の絶対的真理との戦いだった。教義的には、カトリック教会は依然、真理を独占している」と豪語し、異教徒に対する優位感を示している。とすれば、カトリック教には依然として、潜在的な暴力性を有しているといえる事になる。

いずれにしても、アブラハムから派生したユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の三大唯一神教には教義的には潜在的な暴力性がみられることは否定できないのではないか。

立ち上がったイスラム教指導者


6月14日、オーストリアのイスラム社会はウィーンのイスラムセンターに結集し、ロンドンでのテロ攻撃を受けて過激主義とテロリズムに反対するす共同宣言を出し300人以上のイマームが署名した。(写真はYouTubeから)

ここにきてオーストリアのイスラム教関係者が立ち上がってきた。オーストリアのイスラム教指導者(イマーム)は今年6月14日、ウィ―ンのイスラム教文化センターに結集し、イスラム過激派テロに抗議する「反テロ宣言」に署名した。欧州居住のイスラム教指導者たちによる「反テロ宣言」の署名は初めての試みだ。同署名式には約180人のイマームが参加し、残りはメールを通じて署名を送ってきたという。総数300人を超えるイマームの署名が集まった。

「反テロ宣言」の署名は、「オーストリアのイスラム教信仰共同体」(イブラヒム・オルグン会長)が提案したもので、欧州で多発するイスラム過激派テロ事件に対し、「イスラム教は平和の宗教であり、イスラム過激主義、テロ活動はイスラム教の教えとはまったく一致しない」ことを内外に宣言し、それを通じて「イスラム教の教えへの理解を促進したい」という狙いがある。オルグン会長は「イスラム教にとって歴史的な日だった」と述べている。

宣言のタイトルは「全てのイスラム教徒に告ぐ、オーストリアで平和的に共存するために貢献することを願う」となっており、「アラーの名によって」という書きだしから始まり、「世界のテロ行為を批判する」としている。

「反テロ宣言」の概要紹介(2017年6月16日)

“もし人が一人の人間を殺せば、全ての人類を殺すことであり、一人の人間を救えば、全ての人々を救済することだ。”(コーラン 5・32)

われわれオーストリアに住むイマームたちは社会のパートナーであり、オーストリアで平和的に共存するために努力を傾ける決意だ。

われわれオーストリアのイマームは

  • 世界中で起きているテロ、過激主義による暴力を批判する。
  • イスラム過激テロ組織「イスラム国」(IS)の蛮行、テロ行為はイスラム教の教えに反するものであり、厳しく批判する。ISテロリストはわれわれの平和的宗教、イスラム教を自身の政治的目的を達成するために悪用している。
  • イスラム教徒の課題は自身が住む国の安全と平和のために積極的に貢献することであると明らかにする。
  • 自由は全ての人々にとって不可欠の善であり、全ての社会の課題だ。いかなる時、如何なる場所でもその自由のために努力する決意だ。
  • イスラム教は人間の尊厳を不可欠の価値と捉え、その原則に反する如何なる言動に対しても拒否する。
  • これに関連し、テロは宗教、民族、文化にも属するものではないことを強調する。
  • イスラム教徒に最も願われることは、社会の様々な分野に積極的に参加し、社会に奉仕することだ。
  • オーストリア憲法の精神を堅持する。
  • 青少年たちとの場では、非過激化(過激への防止教育)の重要性を強調する。同時に、イスラム教徒を一様に批判し、反イスラム主義、民族主義的な言動に対して警告したい。それらの傾向は社会を不必要に扇動し、分裂を助長する結果をもたらすだけだ。それらは社会の過激化の温床となる。宗教的少数派を政治的迎合主義や敵意から守ることはこれまで以上に重要となってきた。民族主義、反イスラム主義、イスラムフォビアとの戦いは、過激主義との戦いと同様、社会の課題であり、オーストリアのイマームも社会の一員として相互共助の社会建設のために責任を共有する。

(注1) 故ヨハネ・パウロ2世が在位中に公表した。カトリック教会の教えが神の普遍的な真理であるというもので、「真理を独占している」といった考えがその根底にあって、他宗派との超教派活動を進めるうえで障害ともなる。



日本のアニメが中東平和の一助に

佐野富成 ジャーナリスト

絵本のようなディズニー・アニメ


ディズニーでも屈指の作品となったアラジン。

アニメは、米国のディズニーが大きなシェアを誇っている。

ディズニーアニメは、途中から見ても絵本のように分かりやすい物語展開とキャラクター設定、易しい語り口はアニメ=子ども向けという流れを生み出した。そして、子どもの後ろにいる両親、家族をターゲットにした市場開拓は大きな成果を上げた。しかし、その一方で物足りなさを感じる人々が日本のアニメ・漫画に注目するようになった。

米国のアニメはディズニーのようなファミリー向け、子供向けを対象にしたもので、漫画にはマーベルコミック、DCコミックのように勧善懲悪の作品が多く見られる。

日本アニメ


日本の漫画、アニメは多種多様、物語も独特な展開を見せる。世界的に大ヒットした「君の名は。」は
田舎の女子高生と東京の男子高生の体が入れ替わるストーリー。

一方で、日本の漫画、アニメは多種多様、物語も独特な展開を見せる。

スポーツもの、アクションもの、恋愛もの、SFもの、萌え系と言われる美少女もの、ゲームからアニメ化されたものなどジャンルが豊富だ。それも一方に偏るわけでもなく、各分野にまんべんなく広がっていることも海外市場でも注目を集める要因にもなっている。

ディズニー・アニメが「絵本」に例えることができるのに対し、日本のアニメは視聴し続けないと物語が分からなくなることが多々あることから「小説」にたとえることができる。

宗教色が薄い物語展開が奏功

そして、宗教色の薄い物語展開は受け入れやすさという点において、国や人種を超えるものがある。


キャプテン翼の文庫版1(集英社発行)の表紙。発行部数は海外版含め8200 万部。

例えば、宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」や「もののけ姫」などは、日本の宗教観を前面に押し出すのではなく、ヒロイン千尋の成長物語として描いている。そこに背景の独特な色彩を取り込んでいる。

また、スポーツのジャンルでは「巨人の星」がインドでクリケットに変わりながらも、主人公のそのスポーツに対するひたむきに向かい合う姿や、チームメイトとの交流・絆などは、強い共感を呼び起こしている。

スポーツにおけるジャンルの多さは目を引く。

いまや世界的な人気を持つようになり、実際にこの漫画・アニメでサッカー選手になった人も少なくない。「キャプテン翼」、体操の内村航平選手の愛読書でもある体操漫画、後にアニメ化された「ガンバリスト、駿」、バレーボールを扱った「ハイキュー」、バスケットを扱った「スラムダンク」「黒子のバスケ」、野球の「ダイヤのエース」、その他にも水泳、モーターボート、自転車、剣道、相撲、フュギュアスケートなど多くある。

中東で注目される日本のアニメや漫画

日本の漫画やアニメは、欧米でも人気があるが、2000年代に入ると中東が注目するようになった。1980年代にはテレビでも放送されていたが、2000年代に入ると高速インターネットの普及で非公式サイトでの視聴が可能になり、より多くの人が見るようになった。

今年5月、日本貿易振興機構(ジェトロ)がアラブ首長国連邦で行った中東・北アフリカ地域最大のポップカルチャーイベント「中東フィルム・コミックコンベンション2017(MEFCC2017)」で、日本のアニメ・漫画に関するアンケートを行った。

ジャパンパビリオンに訪れた人を対象に285人(3日間)無作為にアンケートを実施。日本のアニメ・漫画が好きというのが98.2%。どこが好きかについては、感動的で道徳的、オリジナリティーの高いストーリー展開をあげる人が多かった。

アンケートの回答の中で、1話あたりの長さを指摘する声もあったという。

日本のアニメの課題

日本のアニメの中でも特に海外に出すにあたり問題となっているのが、肌の露出だ。アニメ作品の中で萌え系アニメとされる美少女ものの中には、イスラムの教えに背くものという意識がある。またアクション漫画やアニメも暴力物はよくないという認識もある。その点に関して言えば、スポーツアニメ・漫画を中東に持ち込むのも一つの手だ。

また、アラビア語、英語で訳されたものをのぞむ声もあったという。

中東平和の一助に

日本のアニメと漫画が、対立するアラブ・イスラム圏とユダヤ圏との橋渡しができるのではないかという期待もある。


イスラエルのエルサレム市国際会議場で今年も3月12 日「イスラエル・アニメ&マンガの会(AMAI)」が主催する「Haru-Con」(ハルコン)が開催された。(森田陽子撮影)

2016年にイスラエルで行われたイスラエル・アニメ&マンガの会が主催する「Haru-Con」が開催中に隣国ヨルダンでも日本の漫画・アニメ好きが集まるイベントが行われていた。規模は、イスラエルには及ばないものの、関係者からは「イスラエルのことは好きになれないが、アニメイベントにくる人たちのことは好きになれるかもしれない」という声が聞かれた。

エジプトでも日本の文化を知るイベントの中で日本のアニメーションを紹介し盛況だった。

このことは、日本のアニメーションが、アラブ・イスラムとユダヤ・イスラエルという対立と恨みの心を和らげる懸け橋としての役割を担えることの証ではないだろうか。日本のアニメが好きという共通項を持つ仲間同士、「悪い奴(人)はいない」という思いが生まれる。

ただディズニーでも同じことが言えるが、キャラクター版権など版権を中心にしたビジネス色が強いやり方は逆に反感をかっている面がある。日本の場合、作品、キャラクターにファンがついてそこから市場が広がっていく傾向にあることから、同じ作品、同じテーマを好む者同士が、人種や宗教の垣根を越えて情報交換が進み、お互いを理解する、あるいはしようとするきっかけが生まれる。


昨年、カイロの大学の日本文化デーで、忍者剣士のコスプレでポーズを取る2人の男子学生。(鈴木眞吉撮影)

日本には作品やキャラクターをとことん極めるオタク文化(日本国内ではアニメ以外と交流しない、という欠点を指摘する向きがあるが、海外では専門分野としての扱いになっている)とコスプレ文化(アニメのキャラクターを真似た扮装をすること)というのがある。

極論的な話になるが、これこそ中東和平への手段の一つになれるのではないだろうか。


記事の続きは、電子季刊紙 Salaam Quarterly Bulletin, 2017年8月, 秋季号にて…