新時代の戦争―抑止力強化としてのデジタル戦略
ジャーナリスト 佐野富成
電子季刊紙 Salaam Quarterly Bulletin, 2022年5月, 夏季号より
2月24日、ロシア軍によるウクライナ侵攻から始まったウクライナ戦争は、これまでの戦争の常識を覆す様相を呈している。ロシア軍による侵攻は、圧倒的な形で決着がつくのではないかと思われていた。想定されるシナリオは、ウクライナの空軍基地などに電波妨害をかけ、ミサイルなどを打ち込み、ウクライナ軍が整う前に電撃戦を展開する、というものだ。それはうまく行くと思われたが、ウクライナのゼレンスキー大統領が首都キーフ(キエフ)にとどまり、SNSを駆使して徹底抗戦を呼びかけるようになることにより、徐々にロシア軍の雲行きは怪しくなっていった。
国外退去しなかったゼレンスキー大統領
これまでの戦争では、その多くが、元首クラスが国外退去するか国内の安全な場所に避難して国の指揮を執る、または亡命政府を築いて抗戦するというのが常識的だった。
また、攻める側はテレビ局の機能を停止させ、相手国の国民をコントロールしやすくした上で進軍させるのが定番でもあった。この度のロシア軍もこの定番に沿った作戦でウクライナ国内に侵攻したと思われる。
写真は2022年2月26日「自分たちはここにいる」と示し、「私たちは全員、自分たちの独立と国を守る」と強調。BBCの映像から
日本では、「大統領は国民に抗戦を呼びかけない方がいい」という発言を繰り返す一部の識者がいた。「大統領が首都にいて徹底抗戦を叫べば、否応なく国民の多くが亡くなることになるからやめた方がいい」というものだった。さらに大統領が拘束されたりすれば、今後の交渉にも影響が出ることが懸念されるとした。その他にもゼレンスキー大統領に対する対外的、外交的失敗を指摘する者もいた。
しかし、ゼレンスキー大統領の「私はここにいる」と言う映像は全世界に流され、ゼレンスキー大統領亡命説を打ち消した。そしてウクライナ大統領府はSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を駆使することで、ウクライナ国民に‘徹底抗戦’を呼びかけ国民はそれに応えた。ゼレンスキー大統領の支持率は80%を超えるまでに跳ね上がり、戦いの戦局を大きく変えることになった。
存在感示すSNS
地上の通信インフラが破壊されてもイーロン・マスク氏提供による衛星通信によりSNSは回復
「スターリンク」は高度550kmの宇宙から世界中のどこでも高速インターネットを使える様にする事業を展開中。
ウクライナ副首相ミハイロ・フェドロフ 氏Mykhailo Fedorov(デジタル担当大臣を兼任)がツイッターでイーロン・マスク氏に「スターリンク」の提供を求め、イーロン・マスク氏はそれに応じ、10時間後にはウクライナへの無償提供となった。
また、多くの国民がスマートフォンというデジタル機器を使い、SNSを通して自分たちが暮らす街の惨状を国内外に発信し続けた。スマホによって国民が現地のジャーナリストの役割を、報道カメラメンとして個々人が世界に発信し続けた。
侵攻直後から、ウクライナの国民が積極的に画像を上げることから、一気に国際社会からの支援の声が上がった。NATO諸国からも武器支援などの協力を得て、ロシア軍の侵攻を抑え込んだ形になっている。
ロシアのプーチン大統領などのロシアの政府機関は「フェイク(嘘)情報だ」と言って否定し続け、さらにはサイバー攻撃により、一般人のSNSアカウントを乗っ取り、「ロシア人がウクライナ軍の攻撃を受けた」と装う偽動画を流したりした。そのような情報戦においてもウクライナ側の映像が証拠となり、ロシアが出す情報はフェイクであることが暴露されウクライナ側が優勢となった。もちろんウクライナ側の映像からも「フェイク」の気配があるため、全面的にウクライナ側が正しいとは言えないが、ロシア側が劣勢な状況が続いていることは確かだ。
一方ロシア国内に関しては、政府批判をする人々や勢力に対し政府は徹底的な弾圧を加えているため、アップルやグーグル、韓国のサムスンなどは既にスマホ販売を停止している。
市民全員がドキュメンタリー監督に
上旗画像はABEMA TIMESより
さらにウクライナ国民の中からもデジタル技術にたけたエンジニアたちがハッカーとして参戦し、ロシアの国営放送局や新聞社、さらには軍事施設などにサイバー戦を仕掛けるなどして国に協力している。またドローンを駆使し、ロシア軍の侵攻の進路をウクライナ政府に伝えるなど国民総がかりでロシア軍に対する軍事力の劣勢をデジタル技術で補っている。
ロシアのセルゲイ・ショイグ国防相、ウィキペエィアより
ベトナム戦争以降、米軍で命を落とした将校は1人だけだが、ウクライナ侵攻以降のロシア軍では既に5人ないし6人にのぼる
(ニューズウィーク(日本語・電子版)3月23日より)
通信の切断、ハッカーによる妨害、といったデジタル戦術を駆使しロシア軍内部の連絡網を混乱させることで、ウクライナ軍によるピンポイントのゲリラ戦が可能となっている。その証拠にロシア軍の指揮官クラスの将校が次々とピンポイントで殺害されていることだ。
ロシア軍は伝統的に軍の士気が低ければ、それを鼓舞するため指揮官クラスが前線に出ることが多いとされる。ロシア軍は、2月24日のウクライナへの侵攻開始以降、わずか1か月ほどの交戦で、実に6名の将官を含む11名の上級指揮官を失っている。
ウクライナ国民の愛国心
スターリンクのサービスをウクライナで開始したことを発表するイーロン・マスク氏。2022年4月7日、日テレNEWSより
感謝を伝えるウクライナの空中偵察部隊。2022年4月7日、日テレNEWSより
それを可能にしているといわれるのが、人工衛星システムを利用した高速インターネットサービス「スターリンク」(米国・スペースX社)とされる。同サービスは、米電気自動車大手テスラの最高経営責任者(CEO)で、宇宙ビジネスにも手を広げたイーロン・マスク氏が無償でウクライナ側に提供した。
「スターリンク」は、高速衛星インターネットサービスと言われるものだ。
このシステムをウクライナ政府の要望に応える形で無償提供した。現在、高度約550㌔の低軌道上に小型衛星(質量100から500㌔㌘)を配置、総数1600機を超える衛星で構成され、地上に置かれた専用送受信機と通信を可能にしている。この技術は、通常のネットサービスのほかにもドローンなどにも応用され、これがロシア軍の監視などを行い、脅威となっている。
2021年9月現在で、17カ国でベータ版サービスを提供している。日本でも今年、使用できるように準備を進めている。そして、今回、緊急事態ながらウクライナも加わった。地上回線が使用不能となったとしても衛星回線を利用することで、ウクライナにとって大きな武器になっている。ちなみに日本でも今年から運用できるように準備が進められている。
「スターリンク」自体はロシアから妨害を受けにくいシステムになっているため、ウクライナ軍によるゲリラ戦を可能にしていると言われている。ロシア軍の動きを事前に知ることで、まさに〝寡兵をもって大軍を制す〟という状況が生まれている。
ただ、これを可能にしているのは、ウクライナの国民のなかに〝国を守る〟(ウクライナという)国が好きだからという強い意識があるからこそ、できたことでもある。
ネットによる攻撃的防衛措置の可能性
自民党の佐藤外交部会長は、政府が検討を進めている「敵基地攻撃能力」について、「自衛反撃能力」と名称を変更するよう岸田総理に提案しました。(2022/02/28 TBS NEWS DIG Powerd by JNN 提供YouTube より)
「打つ前に打たせない」。軍事の面においてもデジタル化の波は押し寄せている。コンピューター制御によるミサイルの発射、目標物への自動制御装置などデジタルやAIを搭載した武器が開発されている。
ウクライナ戦争では、ウクライナ側の自国防衛という形でSNSや最新デジタルテクノロジーを活用したやり方でロシア軍の足を止めさせることに成功している。その一方で、デジタル技術を使えば攻撃的防衛処置も可能だということも示したともいえる。
例えば、ある国が、自国へのミサイル発射行為が見受けられた時や発射した場合、その制御装置をコントロールするシステムに侵入し、コンピューターウィルスを侵入させたり、こちらが逆に乗っ取ることで自爆または制御不能に陥らせる。あわよくば、発射した基地へ乗っ取ったミサイルを打ち込んで破壊することで、自国を防衛する方法だ。
実弾の武器を伴わないサイバー防衛だ。ミサイルや戦闘機を使わない防衛のやり方の可能性をウクライナ戦争では見せてくれている。
武器の開発や購入が難しい場合は、システム開発によって人材を育成する方法もある。
イスラエルでは、こうした防衛システムの強化に力を入れている。陸海空、宇宙、そしてデジタル。第5軍という扱いでデジタル分野の強化に尽力している。
ただ、このサイバー防衛に関しては、相手も高度な技術者を擁した場合、互いに乗っ取り乗っ取られるの繰り返しになる事もあるため、さまざまな局面に備えるための優秀な人材を育成、確保する必要がある。
デジタル化による中国の国民統治強化
便利だからというのみの理由で、すべての分野でのデジタル化やキャッシュレスは危険でもある。中国では、キャッシュレス(デジタル決済、お金を使わずにカードやスマホなどでの支払い)化によって韓国に次ぐキャッシュレス普及国家になっている。だが、中国は共産党一党独裁国家であるため、共産党員でなければ商業への制限を布くなど民主主義国家とは違う顔を見せている。
日本とは違い、クレジットカードはあまり利用されていません。日本国内の百貨店や家電量販店で「銀聯(ぎんれん)/ UnionPay」と書かれたマークを見かけることはありませんか?実は、これは中国で発行されているカードのマークです。銀聯カードのほとんどがデビットカードで、決済と同時に銀行口座から引き落とされる仕組みです。個人向けの与信システムがない中国ではクレジットカードが普及せず、銀聯カードが多く使われています。(三井住友信託銀行が紹介する「池上彰の世界経済の話」より)
さらに中国は、最新テクノロジーを使った最先端の監視社会へと変貌を遂げているという。
天網(てんもう:中国語: 天网工程、拼音: tiān wǎng)とは、中華人民共和国本土(大陸地区)において実施されているAI を用いた監視カメラを中心とするコンピュータネットワークである。天安門広場の監視カメラ。(2009 年、ウィキペディアより)
これはひとつの中国の監視社会の恐ろしさを示しているものだ。顔認証システムと街頭に設置されたカメラ、さらにAIを使った選別で落とし物をした人物を割り出していく。
こうしたやり方は、実は少数民族の監視を行うことも可能だとされる。一度、政府に目をつけられれば、その監視の目から逃れることができない。
こうした監視社会に関しては、中国に限らず米国も似たような社会だ、という声があるが、中国と根本的に違うのは、国民の自由が基本的に認められているのが米国で、よほどのことがない限りは国は干渉しないようになっている。
これが共産主義社会と民主主義国家の違いといえるだろう。