トルコの立ち位置

トルコの立ち位置を考える場合、トルコは1952年にNATOに加盟している国であることを思いだすことが必要だ。加盟が可能になったのは1950年の6・25動乱で延べ2万人を派兵し1000人の死者を出した。銃剣の白兵戦で強靭な戦闘力を示し中共軍を撃退した。結果、同盟に向けた「真剣さ」が認められ、トルコは1952年2月18日にNATOに加盟した。ソ蓮と国境を接し、ソ蓮共産化の西進の脅威の中でNATOに入ることがトルコの安全保障だと決断したからだ。そのスタンスは今も基本的に変わらない。トルコがイスラム教の国であることが西側陣営にとっての阻害とはならない、むしろイスラム信仰において無神論的共産主義はジハードの対象となるからである。エルドアン大統領がムスリム同胞団であり、イスラム過激派に甘いと言っても国是のレッドラインを超えてまで妥協することはない。トルコは非常に現実的な国家である。米ソ冷戦が終わったことは共産主義的西進の脅威は無くなったと視たとしても、地政学的リスクは残っていると考えているのだ。(NPO法人中東平和フォーラム季刊誌第17号、「地政学的リスクを回避しながら存在感を示すトルコ」参照)

脱石油政策の成功は中東平和に繋がる

トランプ新大統領はディール(取引)するビジネスマンというイメージが前面に押し出されてきた。そのため軍事・外交までディールとして取り扱われるのではないか、と危惧されている。しかし安倍首相との首脳会談では深い人間関係の構築に努力し、日本の軍事・外交に予想以上の理解と評価を示した。そしてアジア外交に対しても無難な滑り出しをなすことができたみなされる。

中東においてはどうであろうか。中東アラブ穏健諸国は、中東戦略に対して及び腰であったオバマ前大統領よりもトランプ大統領の方に期待を寄せている。オバマ前大統領より遙かにイスラエルよりだと思われるトランプ氏に対してである。

日本は日米同盟基軸の下イスラエルと軍事外交上友好関係の立場にあり、同時に原油輸入に依存して産業発展をなしてきたという立場は中東において2つの焦点を持っていたと見なすことができる。したがって日本の平和発展と、イスラエルとパレスチナ・アラブ諸国の平和共存とは一衣帯水の関係にあるといっても過言ではない。第一次オイルショックはその実例であった。つまりパレスチナ紛争解決や、ペルシャ湾危機回避は遠い中東の話ではないのである。

3月中旬、サウジアラビアのサルマン国王は4日間にわたり日本に滞在した。アラブ湾岸諸国を代表するサルマン国王の訪日を「脱石油政策」のためとすることは適切ではない。サウジ・湾岸諸国のお家の事情がそうであることは事実だが、経済格差を是正する政治的課題とその格差を温床に王制打倒を計るアルカイダ、IS等の過激派対策、さらにはイェメンの武闘反政府組織であるフーシ派とそれを支援するイラン問題があることを知らなければならない。イスラエルの中道右派といわれるネタニヤフ首相は中東和平問題解決に対して穏健アラブ諸国との協力もあり得ると語った。

日本は中東における2焦点外交のパラダイムから、一焦点外交への移行を模索し、穏健アラブ諸国の代表であるサルマン・サウジアラビア国王の期待に責任感を持った次元の高い政策を打ち出していくことが求められているのではないだろうか。