202505

トランプ政権を迎えて中東の平和は進展するのか?

NPO法人サラーム会会長 小林育三

電子季刊紙 Salaam Quarterly Bulletin, 2025年5月, 春季号より


トランプ大統領は5月中旬に中東を訪問する予定と伝えられている。第一期トランプ政権の最初の海外訪問地が中東であって、それから8年目にしての訪問となる。ウクライナ戦争終結に一定の目途を付けて訪問したいとの計画であった様子を見ると、中東平和に対しての思い入れは大きいと推測される。
ハマスの大規模テロから始まったガザ戦争は1年半を過ぎ、‘テロとの戦争’と言う観点から視ればイスラエル勝利の目途が立ち、アメリカ・トランプ政権が改めてテロとの戦争終結を宣言する立場に立って、中東平和への大胆な建設構想を打ち出すことが期待される。

1.‘テロとの戦争’終結宣言はなぜ出なかったのか?

1)’テロとの戦争’は2001年9.11米同時多発テロ事件直後ブッシュ大統領によって宣言された。

一国を危機に陥れる非常事態が世界の何処にでも起こり得るかも知れない、との認識に基づき国連安保理は満場一致で国連決議1368を決議した。この決議はその前文において「個別的、集団的自衛権を認識した」としている。この決議の下にNATOは創設以来初めて集団的自衛圏を発動し、米議会は「あらゆる必要且つ適切な力を行使する権限を与える」とした。日本は「テロ特措法」を制定した。
具体的に米・英・仏等は「不朽の自由作戦」を行使し、日本は支援物資輸送、「インド洋給油活動」を実施した。

2)アメリカは同時多発テロ事件の首謀者はイスラム過激組織アルカーイダと特定し、その本拠地アフガニスタンのタリバン政権に、ウサマ・ビン・ラーディンの引渡を要求した。しかしタリバン政権が拒否したことにより、アフガン戦争に発展した。アフガンの北部同盟とパキスタン政権の協力を得て2ヶ月でタリバン政権は崩壊し、カブールは制圧された。しかしウサマ・ビン・ラーディンを捕獲する事は出来なかった。

3)その後アフガニスタンはタリバンとの内戦状態が続く中、暫定政権が発足し、カイザル議長が就任した。2004年1月新憲法が発布され、「アフガニスタン・イスラム共和国」となり11月にカイザル大統領が当選した。
2011年5月、米特殊部隊はパキスタンの首都イスラマバードから北東60㎞にあったビン・ラーディンの隠れ家を急襲し殺害した。

▲中央情報局(CIA)により特定されたビンラーディンの潜伏先の邸宅(ウイキペディアより)

▲中央情報局(CIA)により特定されたビンラーディンの潜伏先の邸宅(ウイキペディアより)

当時アフガニスタンはカイザル大統領であったが未だタリバンは反政府勢力として隠然たる力を保持し、潜在的な内戦状態にあった。しかもアフガン西方イランのホラサーン地域にはアルカーイダ勢力が温存されていた。

4)一方アルカーイダの潜伏先であり大量破壊兵器の保有を疑われたイラクのフセイン政権に対して’テロとの戦争’と位置づけた米英軍はイラク戦争を起こした。フセイン政権は40日で崩壊した。フサイン政権がビン・ラーディンを隠匿している事実も、アルカーイダとの関係を証拠づける資料も発見されず、大量破壊兵器も発見出来なかった。
イラク戦争後の民政移管は2006年に為されたが、シーア派系のマリキ首相は国内の反政府勢力を沈静化できず、不安定な国状が継続した。しかもマリキ政権誕生直後にはイラク・アルカーイダが強烈な反米・反マリキ政権運動を展開し始めた。この勢力はビン・ラーディンの殺害の報を得た後イラク・イスラム国と名称を変更した。
以上の状況から、アルカーイダとの‘テロとの戦争’を終結できる状況では無かった事は明白である。

2アラブの春とISIS「イスラム国」

2011年1月25日、最初の大規模デモにおいてエジプト大統領退陣を求め行進するデモ隊(ウイキペディア)

2011年1月25日、最初の大規模デモにおいてエジプト大統領退陣を求め行進するデモ隊(ウイキペディア)

1)2010年12月、チュニジアの青年が政府に抗議して焼身自殺を図った。この情報がインターネットで瞬く間に拡散され、長期独裁とされる政権への大規模な抗議デモが急速にアルジェリア、リビア、エジプト、イラク、シリアへと燎原の火の如く燃え広がった。
9.11同時多発テロ以降、アフガニスタンのイスラム共和国は準内戦状態が続きイスラム教に基づく民主主義政治は安定しなかった。イラクも戦争終結後シーア派系マリキ政権が発足したが不安定な内政が続いていた。従って世界のイスラム教諸国に対する民主化圧力は高まっていた。そういう状況下での長期独裁政権打倒を目指す大規模な反政府デモはかつての‘プラハの春’になぞらえて‘アラブの春’と呼ばれた。
1968年のプラハの春はキリスト教に基づく自由と民主主義を求め、ソビエト共産体制の強固な抑圧からの解放を目指す反政府運動であった。それにたいしチュニジアから始まった長期独裁政権への反政府運動は、長期政権=独裁=悪に抗するイスラム教に基づく共和国政権への民主化運動に見えた。しかしデモを主導したムスリム同胞団は、西欧文化のもたらした国民国家は世俗国家でイスラム教に根ざしたイスラム主義国家とは相容れない、としてジハード(聖戦)の対象とする団体だ。その程度・内容が過激となり、力の行使、武力を持ってのテロを肯定する時、それはムスリムの基本信条の一線を越え、コーランから逸脱したジハード主義者、聖戦主義者となる。1981年10月6日、イスラエルとの戦勝記念日の閲兵式でサダト大統領を暗殺した犯人はムスリム同胞団の急進・過激派=ジハード団のメンバーだった。
アラブの春と称された大規模大衆デモにより2011年2月、エジプトのムバラク大統領は辞任に追い込まれた。翌年6月ムスリム同胞団のモルシ大統領が当選。彼は当選直後からハマスやイランと急接近し、公約を破ってコプト教を迫害し、テロは頻発するようになった。イラン型神政政治に向う危機感と経済破綻の危機に反発したエジプト国民は再び100万人を超える全国デモで「モルシは出て行け」と叫び、モルシ政権は1年で失脚、その後の1年間の暫定大統領による新憲法制定後2014.6.30、シシ大統領が当選した。エジプトはこれを第二革命と呼んでいる。

1981 年10 月6 日、対イスラエル戦勝記念パレードでアンワール・サダト大統領を暗殺

1981 年10 月6 日、対イスラエル戦勝記念パレードでアンワール・サダト大統領を暗殺

2)アラブの春によりリビアは今も内戦状態、シリアは昨年末まで内戦、イェーメンは分裂国家状態、イラクは潜在的内戦状態にあり、いずれの共和国政体も不安定政権が続いている。逆にアラブの春の嵐に飲み込まれ地殻変動に晒されると見做された、ヨルダン、サウジアラビア、バーレン等の王国、オマーン(君主国家)、クウェート、UAE、カタール等の首長国はアラブの春をしのぎ、安定な国家運営に向った。

2014 年5/26-28 選挙で当選したシシ大統領

2014 年5/26-28 選挙で当選したシシ大統領

2017 年3 月13 日、日本の首相官邸にて会談を行う安倍晋三総理大臣(右、当時)とサルマーン国王(左(ウイキペディア)

2017 年3 月13 日、日本の首相官邸にて会談を行う安倍晋三総理大臣(右、当時)とサルマーン国王(左(ウイキペディア)

3)ISIS「イスラム国」の出現
アラブの春の嵐により極端に不安定化したイラク、アサド政権の反政府デモに対する弾圧により泥沼の内戦に陥ったシリアに、2014.6.29ISIS「イスラム国」が出現した。イラクとシリアに跨がる領域支配を以てインターネットで一方的な国家樹立宣言をした。既存のイラク国家とシリア国家の主権・政権は世俗政権でありイスラム主義の政権では無い。故に武力・戦闘(ジハード)以てしても打倒することはムスリムの責務である、として政権批判を掲げ至る所でテロを頻発させた。武力と恐怖で住民をISISに屈従させ支配領域を拡大した。占領した領土こそ「イスラム国」の’国土’であるとした。
言うまでも無くイラク、シリアは「イスラム国」を認めるはずもなく、世界中の一国も承認する国は無い。サウジアラビアを初めとする湾岸諸国はISIS「イスラム国」のアラビア語の頭文字を以て’ダーウィッシュ’(踏みつけ人々を困らせる者との意)と呼び捨てにし、西側メディアに対し「イスラム国」と呼称しないことを求めたほどである。

2014年7月1日時点での実効支配図出典:エコノミスト。アッバース朝最盛期の領土。ISISがカリフとして押し立てたアブバクル・バグダディ。

2014年7月1日時点での実効支配図出典:エコノミスト。アッバース朝最盛期の領土。ISISがカリフとして押し立てたアブバクル・バグダディ。

4)「イスラム国」の背景
ISISの前身はアルカーイダでありジハード団である。それぞれにはイスラム主義による国家革命あるいは世界革命を実現するための戦略に違いがあるのみだ。アルカーイダ(基地)は基地を点とするグローバル・ネットワークを築きイスラエルの後ろ盾となっているアメリカを世界の最大悪魔として打倒(ジハード)する事を直接目的としている。とすれば、ISISはイラクの領域支配から始まりシリアに及びアッバース朝時代のイスラム帝国を築いた後に欧米ユダヤ・キリスト教世界への世界戦争を挑む、という目的で進んだ。
ソ連がアフガニスタンに共産政権を実現するために軍事介入したことに対抗するアフガニスタンの戦士はムジャヒディンと呼ばれた。戦闘的ジハード主義の唱道者でありサウジアラビアのキング・アジズ大学で教授をしていたアブドゥッラー・アッザームは大学生のウサマ・ビン・ラーディンをムスリム同胞団に勧誘した。1982年にはムジャヒディン闘争に身を投じていたアッザームの説得でビン・ラーディンはアフガンへ行った。彼は師と共に世界のムスリムに呼びかけムジャヒディン戦闘員をリクルートし宿泊施設をゲストハウスとして建設し、戦闘訓練施設も建設した。彼が1988年アルカーイダを設立するまでの間リクルートした戦闘員は2万人と言われている。

サダト大統領を白昼テロで暗殺したジハード団の温床はムスリム同胞団であった。当然エジプトでは非合法化され多くの急進過激派はシナイ半島、ガザ、ヨルダン川西岸、ヨルダン、シリア、レバノン、トルコへと逃れた。そして多くがアフガニスタンに流れた。
パレスチナのムスリム同胞団は1987年ハマスに名称変更し、政治団体として反ユダヤ主義、反イスラエルの立ち位置でイスラエルの占領に対する抵抗運動はテロ(ジハード)しかないとしながら、PLO(パレスチナ解放機構)に加入した。しかしそれはPLO主流派ファタハの立ち位置とは反対であった。PLOを乗っ取る偽装潜入であった。ハマスのイスラム主義はテロ(ジハード)を頻発しパレスチナにおけるイスラエル占領を終わらせ、更にイスラエル国をパレスチナから追い出し、パレスチナ国家(イスラム国)を建設する、という政治シナリオだ。同じシナリオでアフガニスタンにイスラム国建設を目指したのがオマル率いるタリバンであった。オマルもムジャヒディン闘争の期間にアッザームに強く影響を受け、1995年にはタリバン政権をアフガニスタンに誕生させた。
1979年イラン・イスラム革命によりイラン・イスラム共和国が誕生した。この革命はシーア派に基づく反米・反イスラエルの世界秩序を掲げるイスラム主義の神権国家である。
従ってスンニ派に基づく反イスラエル・反米を掲げるジハード団・アルカーイダ・ハマスのイスラム主義と同類と言えよう。イランは革命後シーア派の多い湾岸諸国への革命輸出に乗り出した。その矛先はイラク、シリア、レバノンへと伸びていくことになる。

5)ISIS「イスラム国」の猛威と’テロとの戦争’
「イスラム国」の樹立宣言は世界に点在するイスラム過激派に大きな刺激を与え「イスラム国」へ忠誠を誓った。それまで潜在していたテロのネットワークは領域支配に動き出した。
本拠地であるイラク、シリアでは組織化を計り、イラクの第二都市モスルを「イスラム国」イラク州の州都とし、シリアの東部大都市ラッカをシリア州の州都とした。
以下の<各国支部と州>に戦闘員をリクルートして行った。
「イスラム国」シナイ州、「イスラム国」ネジド州
「イスラム国」リビア州、「イスラム国」フランス州
「イスラム国」チュニス州、「イスラム国」イェメン支部
ボコハラムがISに忠誠
アブサヤフがISを支持
ムジャヒデンがISを支持
アフガニスタンのタリバンと連携

この急激なネットワークの拡大と、連携・指令体制の一元化の頂点で起ったのが2015年11月13日夜のパリ同時多発テロだった。130人死亡、負傷者352人。犯行グループ関与は18人。ISフランス州の名で犯行声明が出され、戦闘員8名を送り込んだ、という。仏大統領は「非常事態」を宣言し、対「イスラム国」協調を世界に訴え、シリア空爆を強化した。

5月20日の「リヤド演説」でテロを追い出すよう呼びかけ、「ハマスとイラン政府がアサド政権を支持している」と非難。

5月20日の「リヤド演説」でテロを追い出すよう呼びかけ、「ハマスとイラン政府がアサド政権を支持している」と非難。

2015年2月、中東湾岸6か国は「イスラムの協調と寛容、国際協調」「テロに対する資金断絶、支配地域の監視強化、ダーウィッシュに対する監視強化」を決議。
更に、2015年の12月15日、サウジアラビアのムハンマド副皇太子は「中東、アフリカ、アジアの34カ国・地域から成る対テロ「イスラム軍事連合」を結成すると発表した。(左写真)

6)第一期トランプ大統領の中東訪問
2017年トランプ大統領は最初の海外訪問に中東を選んだ。5.19-21サウジアラビア、5.22-23イスラエルを訪問した。
「リヤド演説」では「テロはイスラム思想がもたらしている、イスラム指導者が責任を持って解決すべきだ」とし、「過激派との戦いは「異なる宗教や文明観との戦いではなく、善と悪の戦いだ」と述べた。又中東和平に対しては「両当事者が交渉で解決、米国はそれを支持する」と仲介役のスタンスを協調した。

イラク軍は6月21日、過激派組織「イスラム国」(IS)が、重要拠点としてきたイラク北部モスルの象徴的な礼拝所「ヌーリ・モスク」を爆破した。

7)ISIS「イスラム国」崩壊
2017年6月29日、イラクのアバディ首相は、モスル奪還を宣言した。
2017年10月18日にはISISの「首都」としたシリアのラッカが陥落した。ここに「イスラム国」は崩壊し領域は消失し、各地に点在する過激派組織ISとなった。2019.10.27、米特殊部隊はシリア北西部に在ったバグダディ潜伏先を急襲した。カリフと称されたバグダディは子供2人と共に自爆した。

3テロ組織ハマス壊滅後に迎えるトランプ米大統領

1)2023.10.7から1年半以上が経過した。ハマスとの戦闘はほぼ終結した。人質の全員解放はまだだが、ガザ住民が「ハマスは出て行け」と声を上げ始めた。CNNニュースによると、2025年3月26日、ガザ北部で「ハマスは出て行け」と叫ぶ数千人の抗議デモが行われた、と伝えた。

2025.3.26ANNnewsCHのyoutubeからのスクリーンショット

2025.3.26ANNnewsCHのyoutubeからのスクリーンショット

テロの温床となったムスリム同胞団はサダト暗殺後エジプトで非合法化され、パレスチナはその恰好の逃げ場となった。その結果パレスチナのムスリム同胞団は急激に過激化し、1987年ハマスと名称変更しPLO主流派ファタハに敵対した。アラファト議長が獲得したオスロ合意からパレスチナ自治政府樹立と独立への道に、ことごとく反対してきた。
ハマスの抵抗運動には妥協も交渉も無く最後はジハード(テロ)のみである。アラファトを大統領に選んだ88%のパレスチナ人の求める民族国家であろうとジハードの対象であり、受け入れることはなかったのである。
2005年イスラエルがガザ占領から撤退した後にはPLO主流派ファタハを武力で追い出しガザを実効支配した。それから20年、事態は一向に進展しない。パレスチナ人への支援金はハマスの武器購入とトンネル掘りに使用されてきたと言っても過言ではない。
10.7のハマス大規模テロは残虐・非道なテロ以外の何物でも無い。これを支持するアラブ諸国は一国も無い。これまで述べてきたようにテロを支持するアラブ諸国は存在しない。それにもかかわらずテロで人々を恐怖に陥れ、戦争状態を惹起しようとするならば、‘テロとの戦争’で滅ぼす以外に選択肢はかったのである。

首都中心部のモスクで演説する反政府勢力のアル・ジャウラニ代表(8日午後、ダマスカス)=スクリーンショットとキャプションは2024年12月8日BBC NEWS Japan更新 2024年12月9日より

首都中心部のモスクで演説する反政府勢力のアル・ジャウラニ代表(8日午後、ダマスカス)=スクリーンショットとキャプションは2024年12月8日BBC NEWS Japan更新 2024年12月9日より

モスクワに亡命したアサド大統領 (写真は12月10日Yahoo Japan ニュース)

モスクワに亡命したアサド大統領 (写真は12月10日Yahoo Japan ニュース)

2)ガザ戦争はイスラエルと周辺国との戦争ではない
①昨年11月27日にイスラエルとレバノン政府が停戦合意を結びました。しかしイスラエルとレバノンが戦争したのではありません。レバノンのヒズボラと戦闘してきたのです。その理由はヒズボラがハマスに連携しイスラエルにロケット弾を打ち込みテロに加担したからです。
ヒズボラに対し世界の20か国以上がテロ組織と認定しています。今回の合意でレバノン政府は政府軍ではないヒズボラの軍事組織をコントロールする事をイスラエルと約束したことになりました。従ってこれからはヒズボラが勝手にイスラエルと戦闘する事もシリアのアサド政権を支援するために勝手に出兵する事も出来なくなります。更にヒズボラを指導・指揮するイランの革命防衛隊との関係も遮断されました。
②イスラエルとレバノン政府の停戦合意が為されるやいなや、シリアの反政府軍シャーム開放機構(HTS)は直ちにアレッポのアサド政府軍に攻撃を仕掛け、30日にはアレッポを制圧しました。12月2日にはハマ、5日にはホムス、そして7日にはダマスカスに到着し8日にアサド政権は崩壊しました。

以上の経緯を見ても分かる様に、ヒズボラがアレッポのアサド政府軍を支援する力も無く、ロシアの空爆による支援も無く、イランの革命防衛隊によるシーア派民兵の支援も無かったと言えます。別の言い方をすれば、イスラエルはヒズボラに大打撃を与え無力化させ、その指揮官の立場にあったイラン革命防衛隊の最高幹部をピンポイントで空爆で殺害することによりイラン勢力を排除し、シリアと戦争したわけでは無いけれど、敵対的なアサド政権を崩壊に導いた、という結果を得たことになりました。かといってイスラエルはシリア暫定政権の大統領となった元HTSの代表ジャウラニー氏を疑いの目で見ています。それは当然のことで、彼はアルカーイダ系のヌスラ戦線の代表だったからです。
③ガザ戦争終結後のガザ復興計画と統治計画、そしてヨルダン川西岸のアッバス議長率いるPLO主流派ファタハの今後と中東和平の行方は?イランの核合意の行方は?

この論考が発表されるとき、トランプ大統領は中東サウジアラビアを訪問している時である。そこで大胆な中東平和の希望ある平和建設計画を発表しているのではないか。筆者はそれを期待している。加えてそこで‘テロとの戦争’終結が明確に宣言され、再びテロによる‘戦争状態’にならないよう釘刺す文言が含まれる事を期待する。


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