202405

クウェートとの絆を結んだ三陸鉄道

NPO法人サラーム会会長 小林育三

電子季刊紙 Salaam Quarterly Bulletin, 2024年5月, 春季号より


第63回クウェート国建国記念日の式典に参加

ペニンシュラホテルで開催されたクウェート国建国記念式典

ペニンシュラホテルで開催されたクウェート国建国記念式典

2024年2月21日、第63回クウェート国建国記念日を祝う式典が正午よりペニンシュラホテルで開催された。挨拶に立ったサーミー・ガッサーブ・アッザマーナーン駐日クウェート特命全権大使は、亡くなられた前首長の高潔な人柄を讃え御霊が安んじられますよう祈り、新首長となられたミシュアル・アルアハマド・アッサバーハ殿下に神のご加護がありますようにお祝い申し上げる、と述べられた。
大使は「クウェート国がこれまで果たしてきた世界的人道支援活動や開発計画が継続され更に前進、発展することを願う。日本との友好関係は民主主義と人権の遵守という国連のルールに基づき国民相互の友好へと拡がり、官民双方における戦略的パートナーシップとしてより強化されることを期待する。」と挨拶された。

三陸鉄道を訪問されたサーミー・アッザマーナーン駐日クウェート大使

2023年6月5日の記念撮影:写真左、石川義晃三鉄社長、右はサーミー・アッザマーナーン駐日クウェート大使。クウェートからの義援金によって新造された車両、その前面左はクウェートの国章、右はクウェート国旗。

2023年6月5日の記念撮影:写真左、石川義晃三鉄社長、右はサーミー・アッザマーナーン駐日クウェート大使。クウェートからの義援金によって新造された車両、その前面左はクウェートの国章、右はクウェート国旗。

2023年6月3-4日、岩手県陸前高田市で第73回全国植樹祭が開催された。式典では天皇皇后両陛下が御隣席され、おことばを述べられ、苗木のお手植え、種のお手播きをなされた。この植樹祭に大使も参加されたとのことである。そして翌日5日三陸鉄道を訪問されている。
その時の様子を岩手日報は次のように報道している。「クウェート駐日大使が三陸鉄道を訪問 新造のレトロ調車両を視察」の見出しの下、「クウェートのサーミ・アルザマーナーン駐日特命全権大使(54)は5日、同国が東日本大震災後に支援した三陸鉄道(宮古市、石川義晃社長)を訪れ、復興の様子を視察した。継続的な支援に意欲を示し、友好の絆を確かめ合った。」
私どもサラーム会の役員は4月23-24日三陸鉄道石川義晃社長にインタビューする機会を得た。私どもが宮古に着いた夕食の席で石川社長は、クウェート駐日大使が宮古駅から島越駅まで三鉄に乗車したことを話して下さった。その時、クウェート記念車両を背にした大使と社長との記念写真を戴いた。

復興の象徴―三陸鉄道

2024年4月20日、新プロジェクトXの放映で、NHKに招待されて感想を求められ、「お帰りなさい」の言葉を思い返し、涙ぐむ望月正彦三鉄初代社長。

2024年4月20日、新プロジェクトXの放映で、NHKに招待されて感想を求められ、「お帰りなさい」の言葉を思い返し、涙ぐむ望月正彦三鉄初代社長。

三鉄石川社長にインタビューの申込をしたのは、2月のクウェート建国記念日を祝う式典でお会いしたことがきっかけである。インタビュー受諾の返事を頂いたメールには、4月20日(土)19:30からNHK総合で「新プロジェクトX 第3回『約束の春~三陸鉄道 復旧への3年』」の上映を紹介されていた。訪問の直前に真にタイミング良く、事が運び驚きを禁じ得なかった。‘約束の春’の予感がした。

笑顔で迎えてくれた金野運行本部長

笑顔で迎えてくれた金野運行本部長

4月20日のプロジェクトXは素晴らしい構成に仕上げられ胸が熱くなった。 ‘不屈の列車’、それは経済的事情から見れば成り立たない、人口減少から見ても見通しできない、そこに大震災・・・不死鳥のように蘇った。その理由を解く言葉は、3年で復旧し試運転で渡りきったときに地元の人々の口から出た「お帰りなさい」という一言だ。地元の人々にとって失った日常が戻ってきた、その感謝の気持がそこに込められていた。それを聞いて復旧にたずさわった人々の苦労と努力、そして疲れは洗い流されたに違いない。

三鉄の運行システム

24日、宮古駅で石川社長と待ち合わせた私達はタクシーで本社2階の運行本部に案内された。そこにはプロジェクトXに登場されていた金野淳一運行本部長が待っていた。すぐにコントロールパネルに向って説明が始まった。「2019年3月にJR山田線が三陸鉄道に移管され、ここが三鉄鉄道リアス線163kmの運行本部となった。JRとの関係以外の南北リアス線の統括本部である。車両が車両基地から宮古駅に入り、久慈に下る列車、盛に上る列車、その信号、運転手への連絡、乗客へのアナウンス、基本は全て自動である。アナログでダブルチェックもする。
平常時は平静だが災害が起ると大忙しとなる。風、雨、雷、地震。運転見合わせ、進行、その都度運転指令、乗務員への指示、客への案内、等々。社員が駐在するのは4駅のみで他の駅は無人。三鉄の特長は毎日のように臨時列車も運行していることです。」

復旧の奇跡は何処にあったか?

三鉄に命をかける社長、復旧を諦めない社員、三鉄を必要とする住民がいて可能となったことだ。
本部長の金野氏は当時被害状況を把握し、復旧計画を正確に作り、計画を貫徹する運行の責任者だった。「とにかく動かせるところから動かせ」・・・「そう言われても、そうはいかない」安全管理の金野氏に智恵が湧く・・北の方は震度5、そのくらいの震度なら三鉄は過去壊れたことはない・・波が来てなければ大丈夫?!・・
そして5日後3月16日陸中野田―久慈の運航は再開した。
「天は自ら助くる者を助く」の言葉を思い起こさせる奇跡だ。
住民は三鉄が運行するのを見た。たとえ二区間であっても。そのニュースは一縷の希望の汽笛として伝わったことだろう。
2012年4月1日の田野畑~陸中野田間の開通の至上命令では3月30日に最後の信号機試験が残っていた。その試験は31日の朝までかかった。徹夜の作業であった。4月1日に間に合った。安全管理は一箇所の不備も許されない。金野本部長は声を和らげ、「次の年は4月3日にしてもらいました。」
「いよいよ2014年の3年目の春、学校の方にも始業を遅らせてもらい南リアス線での残されていた区間:吉浜―釜石の運行再開は4月5日、北リアス線での残されていた区間:小本―田野畑の運行再開は4月6日となりました。南北リアス線の全線開通となりました。」
鉄道運行再開に6年はかかるとされた三陸鉄道は3年間で全線開通を成し遂げた。

2014年5月11日発行季刊サラーム第10号第8ページ

2014年5月11日発行季刊サラーム第10号第8ページ

クウェート車両

車両基地のクウェート記念車両を背に記念撮影。写真左から筆者、小林夫人、高橋裕氏、石川義晃社長

車両基地のクウェート記念車両を背に記念撮影。写真左から筆者、小林夫人、高橋裕氏、石川義晃社長

クウェートは3・11東日本大震災に際し義援金として500万バーレルを寄贈した。500万バーレルと言えば当時日本の1日の原油消費量440万バーレル以上だ。タンカー3隻で運ばれた。原油輸入会社はその輸入代金をクウェートからの義捐金として日赤に送金した。500万バーレルの代金は400億円、その額が義援金となった。その義援金は日赤から岩手県に84億円、宮城県に162億円、福島県に154億円、送金された。送金された復興支援金は「復興基金」として積立てられ、県議会の議決の上、8つの分野に活用される。三陸鉄道には地域基盤復興として、20億円が支給された。
新車両に当てられた額は約13億円(一車両1億6000万円)と見積もられる。つまり新造されたクウェート車両だ。新造された8両は、北リアス線に3両+記念車両1両、南リアス線に3両+記念車両1両として配分され、毎日現役車両として運行している。

~クウェート国章が刻印されるいきさつをうかがうと~

社長の答えは「車両に国旗を付けたい、という三陸鉄道からの提案でした。その旨を大使館にお願いすると、『イヤイヤ、私達はそんなことのために支援したのではありません。』と答えられたそうで、それでも当時の中村部長(その後社長に)が大使に『是非』とお願いすると、それでは、と言うことで、クウェートの国章と感謝の言葉を入れることになった」とのことだった。
現在三鉄28両の内10両にクウェートの国章が刻印されている。特に格調の高い記念列車の色調について金野部長にたずねると、「メーカーに何十もの色のパターンを出してもらい、やっと決まった色です」との答えが返ってきた。

クウェートとの絆を結んだクウェート車両

2014年4月5日三陸南リアス線開通記念列車

2014年4月5日三陸南リアス線開通記念列車

絆は不思議な縁だ。クウェートからの巨額の支援金とは言え、それが何処に廻るか分らない。クウェートの意思によって三陸鉄道に決まったのではない。岩手県の意思によって決まった。
三鉄もクウェートからの義援金が廻ってくるとは夢にも思っていなかったことだ。想定外と想定外の出会いの様な結びつきだ。
2014年の開通式にはクエ、クエ、クエ(クウェートのこと)の感謝の声が運転した金野部長に届いたという。

~三陸鉄道の夢~

最後に石川社長に三鉄の夢をお聞きした。
「三鉄は地域の皆さんの足です。利便性が第一です。そして経済をまわすこと、これをしっかり実現すること。三陸は水産・加工業の地です。しかしサケ、サンマ、イカが厳しい、そこで観光産業に期待がかかっています。県の内外から、海外からも三陸に来て頂く事、夢を持って三鉄に就職してくれる人々がいます。ミッションをシッカリ果たしていくこと」
点が線になり、線が繋がり明治以来の夢、三陸縦断鉄道になり、奇しき縁でクウェートと結ばれた。そして世界に繋がる夢に拡がっている。

三陸鉄道

三陸鉄道路面図


三陸鉄道取材同行―感想記

2024年4月20日(土)7:30~8:15 NHK新プロジェクトXで「三陸鉄道~約束の春~」と題して放送された。写真右から二人目は望月正彦三陸鉄道初代社長、右端は金野淳一(震災復旧時安全管理担当)

2024年4月20日(土)7:30~8:15 NHK新プロジェクトXで「三陸鉄道~約束の春~」と題して放送された。写真右から二人目は望月正彦三陸鉄道初代社長、右端は金野淳一(震災復旧時安全管理担当)

2月のサラーム会年次総会の時にお願いしていた三陸鉄道の取材同行が4月23-25日に実現した。三陸を訪れたことはなく、三陸の三つの陸が何を指すのかさえ答えられないほど、三陸や三陸鉄道に関しての知識は少なかった。幸いにも、訪問直前の4月20日放送のNHK新プロジェクトXで三陸鉄道が取り上げられたことで事前学習が出来た。今年で創立40周年を迎えた三陸鉄道が、東日本大震災津波で受けた壊滅的な被害と復旧への挑戦を追った番組は、取材旅行への期待感を一気に高めてくれた。

高速バスで到着の夜、石川義晃社長(写真左端)と夕食を共にした。

高速バスで到着の夜、石川義晃社長(写真左端)と夕食を共にした。

東京駅で乗車した東北新幹線を盛岡駅で下車し、高速バスに乗り換え、三陸鉄道本社のある宮古に向かった。三陸はリアス式海岸が続く山の多い地帯、長いトンネルを幾つも抜けて宮古駅に着いたのは夜7時20分、暗く静まった駅前のバス停に石川社長が迎えに来て下さっていた。空いている数少ない食事処で夕食を共にした。震災当時の話から始まりクウェート大使が昨年宮古まで訪ねて来られた話など、新プロジェクトXでは語られなかった苦労話も伺うことができた。食後の宮古は、駅前にもかかわらず道行く人や車は影を潜め、シーンとした静寂が覆っていた。鉄道に乗らずとも、三陸鉄道が過疎地を走っていることは明らかであった。
二日目には、宮古にある三陸鉄道本社の運行本部を訪ね、運行本部長の金野取締役から説明を受けた。新プロジェクトXに出演していた三陸鉄道の安全管理運行の全責任者で、設立以来40年間三陸鉄道を守り育てた中心的人物の一人である。運行コントロールパネルを前にして、鉄道ダイヤを手許に、人が一つひとつ確認しながら指令を出して運行させていることを説明してくれた。

三陸鉄道全区間のコントロールパネルについて説明する金野淳一三陸鉄道運行本部長

三陸鉄道全区間のコントロールパネルについて説明する金野淳一三陸鉄道運行本部長


度重なる運行の変更に対処するには、自動化システムよりも人が確認しながら指令を出すほうが柔軟で効率よい対応ができるとの説明は、無人駅が多い単線で163キロメートルを運行する三陸鉄道ならではと納得した。大震災を越えた今も尚、自分たちが鉄道を運行しているという責任感と誇りは、運行本部に限らず、全ての持ち場で働く駅員、社員に感じることができた。
その後、施設本部と思われる整備工場に案内された。そこには、NHK朝ドラでヒットした「あまちゃん」のキャラクターが描かれた車両も並んでいた。今回の取材目的の一つでもあるクウェートから寄贈された車両を目で確認するために、小雨の降る中、整備工場から外に出て探した。全部で28両ある車両の内8両がクウェートからの寄付で購入されたものである。

線路基地でクウェート車両をバックに記念撮影。車両前面左に刻印されたクウェートの国章が見えるように、石川社長自らシャッターを切って下さった。左写真右から、金野淳一運行本部長、筆者、小林夫人、小林サラーム会長。

線路基地でクウェート車両をバックに記念撮影。車両前面左に刻印されたクウェートの国章が見えるように、石川社長自らシャッターを切って下さった。左写真右から、金野淳一運行本部長、筆者、小林夫人、小林サラーム会長。


整備工場、奥は新たなラッピング貼り付け作業が終った車両

整備工場、奥は新たなラッピング貼り付け作業が終った車両


寄贈された車両には、クウェート国家の徽章が車両前面に、車両横面には「クウェート国からのご支援に感謝します。」というロゴが、アラビア語、英語、日本語で記されていた。小さい文字に気づく人は少ないかもしれないが、日本とクウェートを結ぶ友好関係の歴史的証しである。
クウェート国の国章:翼を広げた金色の鷹と、その胸にクウェート国旗の図柄の盾が描かれ、アラビア語の正式国名(شعار الكويت)が上にアラビア文字で書かれている。(ウイキペディアより)

クウェート国の国章:翼を広げた金色の鷹と、その胸にクウェート国旗の図柄の盾が描かれ、アラビア語の正式国名(شعار الكويت)が上にアラビア文字で書かれている。(ウイキペディアより)

車両正面左横面に記されたクウェートへの感謝の言葉、アラビア語、英語、日本語で「クウェート国からのご支援に感謝します」と記されている。

車両正面左横面に記されたクウェートへの感謝の言葉、アラビア語、英語、日本語で「クウェート国からのご支援に感謝します」と記されている。

見学を終えて、三陸鉄道に乗り込み宮古駅を離れる時には、石川社長、金野本部長、そして多くの駅員から見送りをいただいた。大漁旗を振り、横断幕には「ご利用ありがとうございます」と記されていた。三陸鉄道は三陸の人たちの生命線であり、宝であることを改めて感じさせられた。新プロジェクトXで、望月社長(当時)が3年の復旧工事を終え三陸鉄道の運行が再開した時、地元の人たちに「おかえりなさい」と言われて迎えられたことが最も印象に残った、という話が蘇った。




2024年4月28日髙橋 記


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