新世紀の海洋シルクロード

新世紀の海洋シルクロード

 今年(2011年)4月18日クウェート政府が東日本大震災の復興支援のため、原油500万バレル(450億円相当)の無償供与を決定したことに、日本人として心からお礼を申し上げます。

 石油資源の乏しい日本にとって、自主原油の開発は、戦後の大きな国家政策でした。一方、クウェートにとっては未知の日本との契約は、大きな賭けでもあったと思われます。しかし、最初の試掘でカフジ沖の海底油田を掘り当てるという奇跡が、両国の抱えるすべての難問を解決しました。実に幸運な出発を果たしてから50年経った今年、両国の新たな幸運へ向けて船出をしたいものです。

 中東における石油採掘は第二次大戦後、本格化しました。よく知られていますように、「アラビアンナイト」に登場する「シンドバッドの冒険」が映画化され、一大ブームを巻き起こしたのも、当時の石油開発の成功が背景にあったからです。

 「アラビアンナイト」は8世紀末、アッバース朝最盛期に生まれた物語です。当時のバグダードはシルクロードをメーンとするユーラシア大商圏の中心地で、絹を求める商船が「海のシルクロード」を航海し、中国に至っていました。当時のダウ船はイスラム圏の伝統的木造帆船(ムスリム船)として知られており、アラビア半島、インド、東アフリカ沿海で使用されていました。陸のシルクロードが戦争や帝国の政策でたびたび中断されたのに対し、海のシルクロードは継続して発展してきたのです。

 オスマン帝国時代、イラクは完全に帝国の支配下におかれていましたが、都市として完成度の高いイラクのバスラより遠方にあるクウェートには、帝国はさほどの興味を示しませんでした。

 もっとも、当時のクウェートが、北のメソポタミアから南のアラビア半島への重要な陸路であり、ファイラカ(Failaka)島を臨むクウェート湾が、ペルシャ湾における交易の要衝であったことに変わりはありません。さらに、陸海共に交易の要路にあった当時のクウェートが、オスマン帝国の支配下ではイラクよりはるかに自由度が高く、通商がし易かったことは間違いありません。

 そのような地政学的背景を追い風に、クウェートはダウ船工法と航法を発展させ、海洋交易を担うようになります。アルクレイン(Al-Qrain)と呼ばれた当時のクェート人が漁業や交易に乗り出し、アラブ海洋時代の礎を築いていたのです。

 18世紀にクウェートに移住してきたウトバ族サバーハ家(Utbi, Al-Sabah)は、この土台を生かし、より公正、公平でかつ安全な交易環境を築き上げました。それによってクウェートは通商において18世紀末、アラビア湾岸のみならずインド北西沿岸までの地域で、マスカット(Muscat、現在のオマーン)を凌駕する存在となり、やがてバスラ(イラク)のライバルともなったのです。

 1860年代のクウェート商艦はバーレーンを凌駕し、湾岸で最大規模になりました。イギリス人探検家ウィリアムは「クウェートはペルシャ湾諸港で最も活気ある港である」と書いています。石油産業に取って替わられる1940年まで、クウェート海洋交易は約300年にわたり歴史と伝統を誇っていたのです。

 3000年紀への出発にあたる今日、クウェートが「世界の貿易センターとしての開発・発展」を目標に掲げたのは唐突なことではありません。砂漠と海の通商路におけるネットワークのセンターを築き上げることによって、クウェートは陸と海の通商民族として、新たな飛躍を果たそうとしているのです。

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脱石油政策の成功は中東平和に繋がる

トランプ新大統領はディール(取引)するビジネスマンというイメージが前面に押し出されてきた。そのため軍事・外交までディールとして取り扱われるのではないか、と危惧されている。しかし安倍首相との首脳会談では深い人間関係の構築に努力し、日本の軍事・外交に予想以上の理解と評価を示した。そしてアジア外交に対しても無難な滑り出しをなすことができたみなされる。

中東においてはどうであろうか。中東アラブ穏健諸国は、中東戦略に対して及び腰であったオバマ前大統領よりもトランプ大統領の方に期待を寄せている。オバマ前大統領より遙かにイスラエルよりだと思われるトランプ氏に対してである。

日本は日米同盟基軸の下イスラエルと軍事外交上友好関係の立場にあり、同時に原油輸入に依存して産業発展をなしてきたという立場は中東において2つの焦点を持っていたと見なすことができる。したがって日本の平和発展と、イスラエルとパレスチナ・アラブ諸国の平和共存とは一衣帯水の関係にあるといっても過言ではない。第一次オイルショックはその実例であった。つまりパレスチナ紛争解決や、ペルシャ湾危機回避は遠い中東の話ではないのである。

3月中旬、サウジアラビアのサルマン国王は4日間にわたり日本に滞在した。アラブ湾岸諸国を代表するサルマン国王の訪日を「脱石油政策」のためとすることは適切ではない。サウジ・湾岸諸国のお家の事情がそうであることは事実だが、経済格差を是正する政治的課題とその格差を温床に王制打倒を計るアルカイダ、IS等の過激派対策、さらにはイェメンの武闘反政府組織であるフーシ派とそれを支援するイラン問題があることを知らなければならない。イスラエルの中道右派といわれるネタニヤフ首相は中東和平問題解決に対して穏健アラブ諸国との協力もあり得ると語った。

日本は中東における2焦点外交のパラダイムから、一焦点外交への移行を模索し、穏健アラブ諸国の代表であるサルマン・サウジアラビア国王の期待に責任感を持った次元の高い政策を打ち出していくことが求められているのではないだろうか。

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