201405

クウェート国の東日本大震災復興への熱い支援

サラーム会会長 小林育三

電子季刊紙 Salaam Quarterly Bulletin, 2014年5月, 夏季号より


2012年3月21日、天皇・皇后両陛下は国賓として日本を訪問したクウェートのサバーハ首長に対し、大震災支援のための500万バレルの寄贈に謝意を表された。
( 宮内庁HPから)

東日本大震災から3年が経つ。多くの課題を残しながらもその道筋は徐々に拓かれつつある。海外からの支援金100億円が話題となり台湾ブームを起こしたのに対し、原油500万バーレル(400億円相当)という巨額の支援を行ったクウェート国についての報道は余り多くなかった。

先日4月5日、6日の三陸鉄道全面復旧はクウェート原油による義捐金によるものであることが報道された。クウェートからの義捐金は三陸鉄道に使われただけではない。今号はクウェートからの熱き支援を特集した。

“石油の一滴を”が500 万バーレルに


2011年5月14日 大使館主催「東日本大震災復興支援チャリティーバザー」
右2人目から中山義活経済産業大臣政務官、アルオタイビ大使、小池百合子議員、ジャミーラ大使夫人

2011年はクウェート独立50周年と湾岸戦争でのイラクからの解放20 周年記念の年に当り、日本とクウェート間の祝賀行事が多く計画されていた。しかし3月11日の大震災により、日本での行事は取りやめとなった。

2011年、クウェート大使館主催「東日本大震災支援チャリティーバザー」が開かれた。
5月14日当日は晴天に恵まれ、港区三田のクウェート大使館敷地内は開会の午前10時までに参席者であふれた。

黙祷後、アルオタイビ駐日クウェート大使は開会の挨拶に立ち、「震災後スタッフの協力と本国の支持を受けて業務をつづけ、二週間前には被災地を視察した」と語った。続いて小池百合子議員(当時自由民主党総務会長、現自民党広報局長)は、「去る4月1日、アルオタイビ大使自ら小池事務所に来られ、日本の為に何ができるかと尋ねられた時、① ‘石油の一滴を’ と答えたことがクウェート国から日本への500万バーレル(400億円相当)無償供与につながった」とエピソードを披瀝した。会場から大きな拍手がおこった。

注) ① ‘ 石油の一滴を’:1917 年 第一次世界大戦中にフランスの首相クレマンソーがアメリカ大統領ウィルソンに宛てた電報文に「石油の一滴は 血の一滴に値する」と記したことに端を発し、戦争の勝敗は石油で決すると言われた。第二次大戦下の日本で「油の一滴は血の一滴」という言葉として拡まった。

恩返しの気持ちのこもった500万バーレル


大使もバザーで販売

小溝泰義駐クウェート大使(当時の駐クウェート日本国大使、現広島平和文化センター理事長)によると「震災後、クウェート本国ではチャリティコンサートなど大変な渦が巻き起こりました。私自身はそういう人たちに、特に若い人には一人ひとりお礼を申し上げました。結果的に2カ月で1000人以上のクウェートの方々にお会いしたと思います」と語っている。

小池議員が答えた ‘ 石油の一滴を’ の話が大使を通しクウェート本国に伝わったのは間違いないと思われるが、500万バーレルを決断したのはクウェート首長ご自身である。

小溝前大使は「500万バーレルの原油無償提供は当時の日本円で400億円相当です。台湾が一番多くの義捐金を提供してくれた言われていますが、総額100億円です。湾岸地域の中での一番の兄貴分はサウジアラビアです。そこで普通サウジが10出したなら、クウェートとかオマーンとかUAEとかカタールとかはせいぜい6か7を出すのが礼儀なのです。ところが今回クウェートはサウジアラビアより20倍以上出してくれました。」

「これはイラクに侵攻された時に日本が130億ドルを援助したことに対する恩返しの気持からです。大使に赴任しますと天皇陛下からもらった信任状を相手の国の元首にお渡しする儀式があります。その時間は通訳を入れて10分ですから実質は5 分です。その中でサバーハ殿下は『日本に対する恩義は決して忘れておりません。 ② イラクのクウェート侵攻の時には130億ドルもの援助をして下さった。 これに対しては必ず恩返しをします』とおっしゃいました。

注) ②イラクのクウェート侵攻時、多国籍軍によるイラク軍排除の為に日本はお金は出したけれども自衛隊は出さなかった。クウェート解放後、クウェートはニューヨークタイムズ等の記事にお礼の記事を載せた。そこに日本の国名が載っていなかった。しかし「クウェート国と国民は日本の支援を(日本が130 億ドル拠出した事実)知っているし、その恩は決して忘れていない」という気持ちを含んでの言葉と拝察される。

その後大震災が起こった時に、首長の音頭によって500万バーレル無償供与の提案が為されたのです。任期終了時、私は直接首長にこのことのお礼を申し上げました。すると時の外務大臣が『日本が大変な目に合っていることは確かですけれど、クウェートにとっても大変なことでした。石油をあげるということで政権が倒れるかもしれないのです。過去何回も倒れました。それだけ政権にとってリスクがあるということです。クウェートは豊かな国ではありますが国家資源の9割位は石油で歳入の多角化はなかなかできないでいるのです。つまりクウェートには石油しかないのです。いわば“ なけなしの原油”なのです。ちゃんと使わなかった事によって政権が何回も倒れたのです。それで決定まで一か月かかりました。しかし最後は首長自らが決定を下しました。議会は日本にあげるなら反対しないと言ったのです。』と言う話を証してくださいました。」

クウェート政府はサバーハ首長の命に基づき2011年4月、「原油500万バーレル無償提供」の意向を表明しました。

復興支援原油タンカー到着


クウェートからの原油贈呈式
前列左から加藤外務大臣政務官、枝野経済産業大臣、アルザンキKPC 会長、アルオタイビ大使

復興支援原油タンカー第一陣は横浜市JX 日鉱石油エネルギー㈱根岸製油所に到着した。記念贈呈式典は10月12日、経済産業省主催で行われた。

枝野幸男大臣(当時、経済産業大臣)は「クウェートが20年前のイラクによるクウェート侵攻の際の日本の支援を覚えており、今回恩返ししていただいている事に深い感銘を受けている」と語った。日赤の近藤忠輝社長は「日本赤十字社の134年の歴史で初めて、我々は原油を寄付として頂いた。クウェートの支援は、被災地の人々の希望の光となるだろう」と述べた。(日本クウェート協会報227号)

アルオタイビ大使は「原油寄贈はクウェート首長サバーハ殿下の命によりクウェート国民から友である日本の皆様への支援として為されたものです。これまで日本とクウェートの間に築かれた友情から生まれた相互扶助のひとつの例です。クウェートにある私共は日本がクウェート国を独立以来支持し続けて下さったことを忘れません」と挨拶した。

500万バーレルは日本の一日の原油消費量440 万バーレル以上であり、原油価格に換算し5億ドルに相当する。復興支援原油は2011年中に全量日本国内4箇所の石油精製所に届けられ、KPC(クウェート石油公社)から日本の石油会社に売却され代金相当額約400 億円は日本赤十字社を通じて、岩手県、宮城県、福島県に分配される事となった。

日赤の発表によると、2012年1月6日「岩手県に約84 億円、宮城県に約162 億円、福島県に約154億円、合計400億円が送金された。配分は経済産業省など関係機関と協議の上決められた」としている。送金された復興支援金は各県「復興基金」として積み立てられ、県議会の議決の上、③ 8つの分野で活用される。

注) ③8つの分野: ①地域基盤復興②医療支援③福祉・介護支援④教育支援⑤農林水産業支援⑥中小企業支援⑦雇用支援⑧原発事故被災者支援

復興のシンボルとなった三陸鉄道


4月5日釜石駅にて、三陸鉄道南リアス線全線運行再開を祝賀する「くす玉割り」
写真右からクウェート大使夫妻、佐々木博岩手県議会議長、藤原紀香日本赤十字社広報特使。

三陸鉄道の全線復旧は東日本大震災後3年目における復興への希望を感じさせる明るいニュースだ。特にクウェートからの原油支援による義捐金で購入された8両の特別車両はクウェートからの熱い気持ちを乗せてテレビ、メディアに登場した。

三陸鉄道は日本初の第三セクターとして1984年に誕生した。地元の高校生の通学、高齢者の足として親しまれた。第三セクター方式転換後の経営は、比較的好調な会社と経営難の会社に二分されている。三陸鉄道はその誕生より地元の人々に支えられて誕生から10年間は黒字であったがその後厳しい経営を強いられたがユニークなアイディアを打ち出し、何とか乗り越えようとする矢先の大震災であった。

“津波のときでも運行する安定した公共交通機関” というポリシーで計画され、海から一番離れた山際に運行ルートを設定したという。しかし大地震と大津波による被害は想像を絶した。20mの津波を想定して堅固に築かれた陸橋もそれを5m 越える津波によって完全に破壊された。

復旧への執念


2014年4月6日、三陸鉄道全線運行再開記念式典で祝辞を述べる太田昭宏国土交通大臣。左端に寄贈者として招待されたアルオタイビ駐日クウェート大使(国土交通省ホームページから)

「南北リアス線総延長107.6kmのうち今回の大震災で被害をうけたのは5.8kmにとどまり、被害内容のほとんどは地震によるものだった」と三陸鉄道の望月正彦社長は語っている。震災からわずか5 日後、3月16日には久慈ー陸中野田の運行が開始された。20日には宮古ー田老、25日には田老ー小本が復旧した。望月社長は「あらゆる手段を使って復旧を急ぎたい」とし、3年後の全線復旧を目標に取り組んだ。

そして2014年4月5日南リアス線、4月6日北リアス線の全線復旧が成し遂げられた。三陸鉄道は東日本大震災復旧の先鞭をつけた事業と言えよう。

クウェートからの熱い支援による特別車両


車両の前面・後面に描かれたクウェート国の国章

クウェートからの支援金400億円のうち岩手県に支給された額は84億円である。三陸鉄道には8車両の購入、損壊を受けた5箇所の駅舎や施設の復旧に当てられた。新車両購入に当てられた額は約13億円(一車両1 億6000万円× 8両)と見積もられる。その特別列車には先頭面と後尾面にクウェートの国章が描かれ、車両側面には日本語、英語、アラビア語で“ クウェート国からのご支援に感謝します”と書かれている。


「クウェート国からのご支援に感謝します」とアラビア語、英語、日本語で書かれた車両

地域の足として親しまれていた三陸鉄道は、ユニークなアイディアで鉄道ファンの人気を集め、いまやクウェート国とクウェートの国民の熱い支援による復旧復興のシンボル鉄道となった。

今後世界から訪れるであろう観光客は三陸鉄道とクウェートとの絆を知るようになると共に、世界からの支援に感謝する日本人の心を見ていただけるのではなかろうか。

クウェートふくしま友好記念庭園


鮫川石のモニュメント。文字はアラビア語で「Salaam( 平和)」と刻まれている。

2014年2月24日、「クウェート建国53周年、クウェート解放23周年記念祝賀パーティー」が新装されたパレスホテルで開催された。会場の入り口に大使夫妻を初め大使館員が並び、出席者一人一人にたいし握手をし短く挨拶を交わす。

開会の挨拶に立ったアルオタイビ大使は、2月22日に竣工された「アクアマリンふくしま竣工式典」に触れ、「クウェート国と日本との特別な関係の歴史の中に、最近新たに加えられた道しるべが、‘アクアマリンふくしま’ にある‘ クウェート・ふくしま友好記念庭園’ です。おととい土曜日に竣工式が行われたばかりのこの驚くほどに美しい庭園は、クウェートと日本の人々との真の友情の絆を象徴するものです」と語った。

‘アクアマリンふくしま’は福島県いわき市小名浜港に位置し、竣工された友好記念庭園は駐車場から環境水族館に至る5000平米に、砂漠をイメージした池と堀、そして芝生と木々を植栽する。鮫川石のモニュメントにはアラビア語で「Salaam(平和)」との文字が刻まれた。

アクアマリンふくしまは東日本大震災に際し、クウェート国から300万ドルの復興支援金を頂きました。復興の第一弾として、クウェート国への謝意を表すために「クウェート・ふくしま友好記念庭園」の整備を開始しました。クウェート・ふくしま友好記念庭園はマダケの骨組みにクズをはわせた「くずのトンネル」や、クウェートの砂漠オアシスの自然を展示する「砂漠は生きている」、クウェートとの友好記念モニュメント「鮫川石記念碑」などの8つの展示から出来ています。(クウェートふくしま友好記念庭園ホームページより)

クウェートと日本の絆を証する「友好記念庭園」


2014年2月22日「クウェート・ふくしま友好記念庭園」竣工式典後。写真右から安部義孝館長、アルオタイビ大使、佐藤雄平福島県知事、アルムタイリKISR 所長。

式典は福島県佐藤雄平知事により主催され、アルオタイビ大使、クウェート科学研究所のナジ・アルムタイリ所長、安部義孝館長が挨拶に立った。

300万ドル(約3億円)の復旧復興支援金は2012年3月来日したクウェートのサバーハ首長の計らいによる特別支援金である。安部義孝現館長は1960年代後半にクウェート科学研究所(KISR:Kuwait Institute for Scientific Research)に在籍したことがあり、当時のクウェートの友人が地震・津波による甚大な被害をうけた アクアマリンふくしまの復旧復興に動いた。2012年7月13日には「クウェートからの復旧復興資金寄贈記念セレモニー」が挙行され、KISR と財団法人ふくしま海洋科学館・アクアマリンふくしまとの間に友好提携が結ばれた。

今年の竣工記念式典において、佐藤知事は「大震災以後、クウェートから福島県に送られた支援金に感謝すると共に、アクアマリンふくしまの復旧と科学技術の復興の為に3万ドルを供与下さったクウェート首長サバーハ殿下に深甚なる感謝をもうしあげます」と挨拶し、「アクアマリンふくしまの復旧は福島県復旧のシンボルであり、新規オープンした友好記念庭園はクウェートと日本の友好の絆の証である」と結んだ。

( 写真、資料提供:駐日クウェート大使館)


他の記事は、電子季刊紙 Salaam Quarterly Bulletin, 2014年5月, 夏季号にて…